東京地方裁判所 平成8年(合わ)71号 判決 1999年7月22日
主文
被告人を懲役一八年に処する。未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入する。
理由
以下の記述においては、「罪となる事実」を除き、別紙のとおり、共犯者とされる者らは姓のみをもって表示し(ただし、それぞれ最初の表記については氏名を記載する。)、固有名詞あるいは事件名等についても略称、略語を使用することとする。
(認定事実)
第一 D弁護士殺人未遂事件
(犯行に至る経緯)
一 被告人の身上・経歴
被告人は、昭和四四年二月大阪府泉大津市で出生し、昭和六二年三月私立甲野高等学校を卒業後、同年四月乙山大学教養学部理科三類に入学し、医学部に進学して臨床医を目指し始めた。同大学六年生に在学中の平成四年六月三〇日ころ、被告人は、高校時代からの友人で医学部に一緒に進学し既にA´ことAを教祖とする宗教団体「オウム真理教」の出家信者となっていたB、教団幹部のCらに勧誘されてオウム真理教に入信した。被告人は、在家信者として修行を行い、教団のヨガ道場に通うなどしながら、平成五年三月同大学医学部医学科を卒業し、間もなく医師免許を取得して、同年六月から同大学医学部附属病院に研修医として勤務し始めたが、その後、Cから熱心に勧められ、また、修行をする中で、いわゆる「気」の上昇等を現実に感じるとともに、密教修行者と医師は両立できないと考えるようになって、同年一二月末に同病院を退職して平成六年一月教団の出家信者となり、約二か月間の出家修行を経て、同年三月からは配属された教団の出版部で活動するなどしていた。
二 Dの活動状況
Dは、昭和五八年四月から横浜弁護士会に所属して弁護士業務を行っていたが、平成元年一一月友人である坂本弁護士一家の失踪事件が起きたことから、オウム真理教に対して疑念を抱き、「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」や「オウム真理教被害対策弁護団」に加わり、信者名や施設の把握など教団の実態に関する調査を行ったり、教団を相手方とする民事訴訟の代理人として活動するなどしていた。また、教団では、信者を教団施設に住まわせて「ワーク」と称する教団の運営活動や修行に専念させる、いわゆる出家制度がとられていたが、これに対する信者の家族の動揺や不安、反発が強かったため、Dは、平成五年七月ころから、信者の家族の依頼を受けて、「オウム真理教被害者の会」の会長の長男で元教団の信者であったE等とともに、信者らに対し、その出家を阻止し、更には教団から脱会させることを目的とするカウンセリング等を行うようになり、このカウンセリングで現実に教団から脱退する者を出すなど一定の成果を上げていた。
三 謀議及び犯行準備の状況
Aは、教団幹部で教団の法律業務を担当していた弁護士のFらから、右のようなDの積極的な活動状況について報告を受けるうち、同人の存在が教団の活動にとって大きな妨げになると考え、同人を殺害することを決意した。
平成六年五月七日ころ、Aは、山梨県上九一色村の第六サティアン一階の自室に、F、G及びHを呼び集め、Fに対し、次にDと会う予定等について尋ねて、同月九日午後一時一五分に甲府地方裁判所でDが訴訟代理人を務める訴訟事件の口頭弁論があることや同人が乗用車を運転して同地裁に来るであろうことを知り、Fら三名に対し、「Dの車に『魔法』を使う」などと言い、教団内における「サリン」の隠語である「魔法」という言葉を用いて、その日にDの車にサリンを撒き同人を殺害するように命じた。
その後、同月八日午後、Aは、右自室に被告人を東京から呼びつけ、「Dに悪業を積むのをやめさせるために、『魔法』を使って同人をポアする」旨告げるとともに、Fの車の運転手等の役割を命じた。被告人はその後、Aの居室隣のリビングにおいて、F、G及びHとともに、犯行の段取りについて詳細な打合せを行い、前記口頭弁論期日の当日に甲府地裁に駐車中のDの車を確認し、その位置をGらに伝える役割を引き受けた。
一方、Aは、同日夜、前記自室にI子を呼び出し、「ちょっと危ないけれど君にできるかな。ある人物をポアさせてあげようと思うんだよ」などと言って、Dの車にサリンを撒く実行役を命じて、I子もこれを了承した。
Hらは、その間、I子の変装用具、犯行に使用するサリン、その中毒に対する予防薬や解毒剤等を用意したり、アンモニアを使った模擬撒布実験をした上、翌九日未明、I子に容器に入った水を車のフロントガラス下の溝にかけさせる予行演習をさせるなど準備を進めていたが、そのころまでに実行役の意味を悟ったI子を含め、遅くともこの時点までに、被告人、A、F、G及びHの間で、Dを殺害することについての共謀が成立した。
四 犯行当日の状況
翌九日午前一〇時ころ、被告人は、Fを乗せた車を運転して上九一色村から甲府地裁に向けて出発し、途中、G、H及びI子が乗った車と落ち合って帰りの待ち合わせ場所を決めるなどした後、別々に甲府地裁に到着し、打合せどおり、被告人らの車は正門側駐車場に、Gらの車は東門側駐車場に、それぞれ駐車した。間もなく、前記口頭弁論の時刻が近づくと、被告人は、正門側駐車場内の少し離れた所に駐車していたシルバー色の三菱ギャランの側まで行き、予めFから教えられていたナンバー等から、それがDの車であることを確認し、一旦自分の車に戻って略図を書くと、それを持って東門側駐車場のGらの車の所まで行き、同人らに右略図を渡してDの駐車位置を伝えた。
(罪となる事実)
被告人は、A´ことA、F、G、H及びI子と共謀の上、サリンを吸引させてD(当時三七歳)を殺害しようと企て、平成六年五月九日午後一時一五分ころ、甲府市中央一丁目一〇番七号所在の甲府地方裁判所駐車場において、I子が、同所に駐車中のD所有の普通乗用自動車(相模《中略》)の運転席正面のフロントガラスとフロントウィンドーアンダーパネルとの境目付近にサリン約三〇ミリリットルを滴下し、これを気化・発散させて同車両内に流入させるなどし、同駐車場及びその後の走行中の同車両内等において、同人にサリンガスを吸引させるなどしたが、軽度のサリン中毒症の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。
第二 新宿青酸ガス事件
(犯行に至る経緯)
一 D弁護士殺人未遂後の被告人の活動状況
平成六年六月ころ、教団では、その運営に必要な各部署を国家機関に模した省庁制と称する組織体制が敷かれた。当初、被告人は、Cを長官とする諜報省(CHS)に所属し、同人の指揮のもとで様々な調査活動やその他の雑用に従事していたが、同年九月からは、法皇官房と呼ばれる機関に所属し、Bの指揮の下で、教団で使われる宗教用語の用語集を作成したり、下部組織である学生班のリーダーとして学生に教団への入信を勧誘するなどの活動を行っていた。
二 平成七年三月二二日以降の被告人の行動
平成七年三月二二日、前記上九一色村の教団施設が警察の捜索を受け、これと相前後して、出家信者らは同施設を逃れて教団が用意した方々の隠れ家に潜伏するようになった。
被告人は、同月下旬ころ、Cの指示を受けて、かねてAが教団に対する強制捜査の矛先を逸らすためにCに命じておいた石油コンビナート爆破等の可能性について調査活動を開始し、また、同年四月に入ってからは、他の信者らと離合集散を繰り返し、各所の隠れ家を転々としながら、教団が所持していた小銃部品等の廃棄や薬品類の日光山中への隠匿等を手伝ったり、Cの指示する種々の調査や雑用をこなすなどしていた。
三 謀議及び犯行準備の状況
一方、Aは、右強制捜査以降、自己の逮捕される恐れが現実化してくる中で、幹部信者らに対し、改めて「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」などと命令し、これを受けて、教団の最高幹部で科学技術省の大臣であったJは、同月一一日、教団の青山道場に呼び出したCやHに対し、捜査撹乱のために空気爆弾等を作って事件を起こすように促した。翌一二日ころ、Cは、当時行動をともにしていたH、K、LらにJの指示を伝え、皆でその具体的方策について話し合った結果、ダイオキシンを撒布することで話がまとまり、この経緯は後に被告人にも伝えられた。
同月一六日、Aから呼びつけられて第六サティアンに赴いたCは、Aから、「四月三〇日に石油コンビナートを爆破しろ。これから政権交代が起きるまで、三〇日ごとにテロをやり続けろ」などと命じられたため、同月一八日、H、K、L、被告人らにその旨を伝え、再び皆でその具体的方策について話し合ったが、石油コンビナートを爆破することは不可能との結論となり、これに代わるものとしてダイオキシン撒布計画を更に具体化させていった。
同月二三日Jが何者かに刺され、翌日死亡する事件が起こったため、同月二五日、Cは、教団幹部のM子を通じて、Jの死によって前記命令に変更があるかどうか、Aの意思を確認したが、新たな指示はないとのことであったので、H、K、L及び被告人とともに再びその具体的な方策を相談した。その結果、ダイオキシンの撒布については廃案となったが、これに代えて青酸ガスを発生させることとなり、Nらに命じて、その原料となるシアン化ナトリウムを隠匿場所の日光山中に取りに行かせるなどした上、同月二九日には、青酸ガスを発生させる場所を新宿駅の地下にある男子便所(以下、「本件トイレ」という。)に決定した。
そして、翌三〇日、Hが中心となって青酸ガス発生装置を完成させ、Lが本件トイレの個室内に仕掛けたが、Hが塩化ナトリウムと間違えて砂糖を時限装置に使用したため、右青酸ガス発生装置は作動せず失敗に終わり、さらに同年五月三日には、改めてHが同様の装置を本件トイレに仕掛けに赴いたものの、付近に人通りが多かったことなどから、機会を逸し、結局仕掛けることができなかった。
翌四日、C、H、K、L及び被告人らは改めて相談した結果、翌日もう一度青酸ガス発生装置を本件トイレに仕掛けることになり、被告人は、Lから依頼されて、右装置が清掃時に回収されないように清掃終了時刻を確認した上、実行役であるHらの逃走手段である路線バスの発車時刻等を調査し、Lに報告する役割を引き受けた。
四 犯行当日の状況
同月五日、被告人は、午前と午後に、一回ずつ本件トイレに赴き、その合間にバスの発車時刻等を調べるなどし、同日午後二時過ぎころにようやく本件トイレの清掃が終了したことを確認すると、Nを通じてLにその結果を報告した。これを受けたLは、同日午後三時三〇分ころ、青酸ガス発生装置を携えたHとともに、杉並区永福町アジトから新宿駅に向かって出発した。
(罪となる事実)
被告人は、C、H、K及びLと共謀の上、駅の公衆便所内にシアン化水素ガス発生装置を仕掛け、同ガスによりその利用者等を殺害しようと企て、平成七年五月五日午後四時五〇分ころ、東京都新宿区西新宿一丁目西口地下街一号所在の帝都高速度交通営団新宿駅東口脇男子用公衆便所の個室において、Hが、同所備付けのゴミ入れ容器内に、シアン化ナトリウム粉末約一四九七グラム在中のビニール袋をその口を開いた状態にして置き、その上に、発火装置として濃硫酸入りポリエチレンテレフタレート樹脂製の丸底化粧瓶(以下、「小型ペットボトル」という。)、塩素酸カリウム及び粉砂糖を充填したダンボール小箱を乗せ、更にその上に希硫酸約一四一〇ミリリットル在中のビニール袋を乗せて、時間の経過とともに右小型ペットボトルから溶け出した濃硫酸が塩素酸カリウム及び粉砂糖と化学反応を起こして発火し、その火勢によって右希硫酸入りビニール袋を焼損させ、これによって漏出した希硫酸がシアン化ナトリウム粉末と化学反応を起こしてシアン化水素ガスが発生する仕掛けを施した同ガス発生装置を設置したが、その後、何者かによって希硫酸入りのビニール袋だけがゴミ入れ容器から外に取り出され、同日午後七時過ぎころこれらを発見した清掃作業員によって、希硫酸入りのビニール袋が本体と分かれた形のまま、同便所出入口付近の床に並べて置かれ、さらに、同日午後七時三〇分過ぎころ、右装置から発火しているのを目撃した通行人の通報により現場に臨場した同駅職員によって直ちに消火され、かつ、シアン化ナトリウム粉末と反応すべき希硫酸入りのビニール袋が横に置かれていたために、シアン化水素ガスを発生させるに至らず、殺害の目的を遂げなかった。
第三 東京都庁爆弾事件
(犯行に至る経緯)
C、H、K、L及び被告人は、報道によって、前記第二の犯行が予期していたほどの大きな騒ぎに発展しなかったことを知り、次なる捜査撹乱の手段を考えていたところ、同月八日ころ、八王子アジトにやって来たM子から、「Aが、『一週間以内に何が起きても動揺しないように』とか『有能神が怒っている』と言っている」旨知らされ、皆でその解釈につき議論した結果、「一週間以内にAが逮捕される。捜査が撹乱されていないことを同人が怒っている」という意味に理解し、同人の逮捕を免れるために捜査の矛先を他に逸らす手段として、一週間以内に、爆弾を作って当時の東京都知事である青島幸男に送り付けることにした。
(罪となる事実)
被告人は、C、H、K、Lらと共謀の上、治安を妨げ、かつ、東京都知事青島幸男らを殺害する目的をもって、
一 平成七年五月九日ころから同月一一日ころまでの間、東京都八王子市《番地略》所在のマンション「丙川」三〇一号室において、H、Kらが、書籍の内部をくり抜き、その中に、爆薬であるトリメチレントリニトロアミン(別名RDX又はヘキソーゲン)を充填したプラスチック製ケースを挿入した上、右ケースに起爆剤であるアジ化鉛を詰め込んだグロープラグ及びアルカリ電池を接続して、右書籍の表紙を開披することにより絶縁紙が外れて通電し、爆発するよう仕掛けを施した爆発物一個を製造し、
二 同月一一日午後七時ころ、被告人が、茶封筒に入れた右爆発物を、同都渋谷区松涛一丁目七番二五号東京都知事公館内青島幸男宛て速達郵便物として、同都新宿区新宿一丁目一〇番一号所在の第二坂栄ビル東側路上にある郵便ポストに投函し、翌一二日午後六時ころ、情を知らない郵便配達人をして郵送先である同公館にこれを配達させた上、同月一六日午後三時三〇分ころ、情を知らない東京都総務局知事室管理係員をして同所から同都新宿区西新宿二丁目八番一号所在の東京都庁第一本庁舎七階知事秘書室まで運搬させ、同日午後六時五七分ころ、同所において、東京都知事宛て郵便物受付整理業務等を担当していた東京都総務局知事室知事秘書担当参事O(当時四四歳)をして右郵便物を開封させ、同人が右爆発物を取り出してその表紙を開けると同時に、起爆装置を作動させて爆発させ、もって、爆発物を使用するとともに、同人に入院加療五一日間を要する左手全指挫滅切断、右手栂指開放性粉砕骨折、顔面・頚部・両上肢・前胸部・腹部多発性挫創等の傷害を負わせたが、殺害の目的を遂げなかった。
(証拠の標目)《略》
(争点についての判断)
以下においては、関係者の検察官又は警察官に対する供述調書、公判手続更新前の各公判調書中の供述部分等についても、便宜、「供述」として説明する。
第一 D弁護士殺人未遂事件について
弁護人は、(一)本件犯行に用いられたサリン(以下、「本件サリン」という。)は、少量であり、特にその使用方法に照らせば、仮に被害者が本件サリンに被曝したとしても、非常に微量であったと認められるから、人を殺害する実質的危険性は極めて乏しかったとして、殺人罪の実行行為性を欠くともとれる主張をしているほか、(二)本件犯行後の被害者の目の異状等の症状は、サリン中毒以外の疾病等に起因することが疑われるから本件サリンと被害者の症状との間には因果関係がない、(三)被告人は、本件犯行に用いられる「魔法」とは、麻薬の一種であるLSD(正式名称リゼルギン酸ジエチルアミド)だと思い込んでいたものであり、したがって被告人に殺意はなかった、と主張するので、これらの点につき以下検討する。
一 関係各証拠によれば、前提事実として、次の事実が認められる。
1 LSDに関する被告人の知識及び服用体験
被告人は、平成六年四月後半ころ、Aの指示により、当時教団内で生成実験が行われていたLSDの失敗作を試飲し、これをきっかけにLSDに関する書物を読むなどして、その通常使用量や使用方法等の知識を得た。
その後、同年五月四日ころ、前記第六サティアン一階のAの居室において、再び同人の指示で、生成に成功したLSD約一五〇マイクログラムをサットヴァレモンと称する飲料水に溶かして試飲したが、重い中毒症状に陥ったため、Hから酸素マスクをあてがわれ、「水分を汗等で排出したり、胃の中の物を吐けばよい」旨の助言を受け、サットヴァレモンを大量に飲むなどし、半日ほど経ってようやく回復するという体験をした。
2 Aによる本件犯行の指示
同月八日午後、被告人は、Aが呼んでいると言われて、都内のマンションから第六サティアンに赴き、同建物一階のリビングにいたF、G及びHらに促されるようにしてAの部屋に入ったところ、同人から、「サマナを無理やり下向させているDという弁護士がいる。明日もその関係で甲府で裁判がある。同人に悪業を積むのをやめさせるために魔法を使ってポアする。君には、Fの車を運転してもらう。詳しくはGたちに聞いてくれ」などと命じられた。
3 犯行方法の打合せ
被告人がAの部屋から出ると、前記リビングで待っていたF、G及びHは、被告人を交えて、具体的な犯行方法の打合せを行ない、その結果、(一)女性信徒が変装して犯行に加わること、(二)被告人がFを乗せた車を運転し、GがH及び女性信徒を乗せた車を運転して別々に出発し、途中甲府精進湖道路を出た付近で合流して、甲府地裁に行くこと、(三)甲府地裁では、被告人らの車は正門側駐車場に、Gらの車は東門側駐車場に、それぞれ駐車すること、(四)被告人がDの車が駐車していることを確認した上でその位置をGらに知らせること、(五)犯行方法は、女性信徒がDの車に「魔法」をかけ、気化させた「魔法」を車内に入れて、運転している間に効き目が現れるようにすること、(六)事前に「魔法」の予防薬を飲むこと等が確認され、被告人には(四)の役割を果たすために必要なDの車の車種、ナンバー等の情報が与えられた。
右打合せ後、被告人は、第三上九と呼ばれる教団敷地内の農道でHから「明日、出発前にこの薬を飲んでおいて」と言われ、前記「魔法」の予防薬であるメスチノンの錠剤を被告人及びFの分として一人分二錠ずつ合計四錠を渡された。また、その際、Hから有機リン系中毒の治療薬であるパムの箱を示され、「『魔法』は、一旦症状が出ると進行を止めることはできない。ただ、これだったら効果があるかもしれない」との説明を受け、さらに、同人あるいはその場にいたGから、「もし、自分たちに症状が出て、注射することができない状態になったときは、君が代わりに私らに注射を打ってくれ」などと依頼された。
4 犯行当日の被告人らの行動
翌九日午前一〇時ころ、被告人は、Fを乗せた車を運転して上九一色村から甲府地裁に向かい、途中、Hから渡されていた前記メスチノンをFとともに服用した。
その後、被告人は、G、H及びI子の乗った車と合流し、犯行後の待ち合わせ場所を決めるなどした後、再び同人らと別れて、別々に甲府地裁に向かった。
他方、Dは、同日午後零時一五分ころ、同人の三菱ギャランを運転して同地裁に到着し、正門側駐車場に駐車した上、相訴訟代理人のP弁護士の事務所に赴き、打合せを行った後、午後一時一五分少し前ころ、徒歩で同弁護士と同地裁に向かった。
被告人はFとともに、Dが駐車した後に、甲府地裁の正門側駐車場に到着し、間もなく、Dの車両が駐車していることに気付いたFから指示されて、被告人は、車から降りてDの車であることを確認しに行き、一旦自分の車に戻ってその駐車位置を示す略図を書くと、甲府地裁の庁舎内を通って東門側駐車場に行き、同所に駐車していたGらの車に乗り込んで、同人らに右略図を渡して説明し、再び自分の車に戻った。
同日午後一時一五分ころ、Fは、前記口頭弁論に出頭するため法廷に出掛け、一方、車内に残った被告人は、間もなく、変装したI子がDの車の方へ歩いて行き、一旦視界から消えた後に今度は正門から出ていく姿をバックミラーで確認した。
そうするうち、被告人は、甲府地裁の守衛から他の車の邪魔になるので駐車位置を変えるようにと言われ、誘導されるまま、同地裁正面玄関付近に車を移動させたが、その結果、Dの車との距離は一三メートル余りにまで近づいた。
しばらくして、被告人は、車のエアコンのスイッチを入れたが、数分後に外気導入にしていたことに気付き、Dの車に仕掛けた物質が外気吸入口から自分の車内に入り込むのを恐れ、慌てて内気循環に切り替えた。
同日午後一時三〇分過ぎころ、被告人は、弁論を終えたFを乗せて、同地裁を出、待ち合わせ場所でGらの車と落ち合った。GとHは、I子に縮瞳等のサリン中毒の症状が出たことから、自分たちも被曝しているおそれがあると考えて互いにパムを注射し合っており、それを見た被告人は、Hらに対し、自分にも注射してくれるように頼んだが、「君は大丈夫だよ」などと言われ、結局注射をしてもらえなかった。
5 被害状況
一方、Dは、弁論を終えると、P弁護士や傍聴に来ていた事件関係者らと甲府地裁の正門付近で別れ、同日午後一時三〇分過ぎころ、正門側駐車場に停めておいた自車に乗り込み、同車を運転して甲府地裁を出発し、かねてから購入したいと考えていた長野県内の別荘地を物色するために、八ヶ岳山麓の富士見高原保健休養地等に赴いた。この間、Dは、自車の運転席側ドアを、出発から約二〇分ないし四〇分後に開けたのを始めとして合計一〇回前後乗降する度に開閉し、また、運転席側窓ガラスを、別荘地の写真を撮るために一回開けたほか、たばこを吸うために更に合計五、六回開閉した。
Dは、その後、帰宅すべく、中央高速道路に入り、同日午後六時過ぎころ、相模湖インターチェンジから一般道路に出たが、間もなく、急に目の前が全体的に暗く感じて良く見えなくなったため、ギアをシフトダウンしてエンジンブレーキがかかりやすいようにし、自車のスモールライト及びヘッドライトを点灯した上、体を前方に乗り出した状態で運転した。自宅に着いてからも、同人は、居間の電灯が通常の半分しか点いていないのではないかと錯覚するほど眼前暗黒感を感じたが、このような症状は翌一〇日朝までには消失した。
6 犯行後のLSD服用体験
同年六月二〇日ころ、被告人は、キリストのイニシエーションと称する教団の宗教儀式の一環として、LSD一ミリグラム(一〇〇〇マイクログラム)をサットヴァレモンに溶かして服用したが、その際、LSD中毒の予防又は治療のための措置はとらなかった。
二 本件犯行による殺害の実質的危険性について
そこで、本件実行行為の実質的危険性について検討する。
1 サリンの一般的性質と本件サリンの危険性
サリンは、化学兵器として開発された有機リン系の神経剤であり、揮発性が高く、ひとたび人体に吸収されると、アセチルコリンを分解するコリンエステラーゼ酵素の働きを阻害し、その結果、体内にアセチルコリンが蓄積して中枢神経の伝達機能が妨げられ、縮瞳、意識障害、けいれん発作、呼吸麻痺等の諸症状が現れて、最終的には心停止により人を死に至らしめる性質を持ち、経気道吸収によって人体に摂取された場合の半数致死濃度(被験個体数の半数が死亡する濃度)は、一分間の被曝を前提とすると、一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムである。
本件サリンは、生成過程で生じた原料や分解物等の不純物を含め約三〇ミリリットルの液体であるところ、その生成に携わったC1の捜査段階における供述、証人Qの公判廷における供述等の関係証拠を総合すると、このうち純粋なサリンの濃度は五〇パーセント前後であり、容積にして約一五ミリリットル程度であったと推認されるほか、関係証拠によれば、本件サリンが教団において平成六年二月ころ生成された約三〇キログラムのサリンの一部であり、本件の後、同年六月二五日に長野県松本市で発生し、サリン中毒による死亡者七名及び二〇〇名を超える負傷者を出したいわゆる松本サリン事件に使用されたサリンと同一の物であることが認定できるのであって、これらを併せ考えると、本 件サリンが強度の殺傷能力を有する物であることは明らかである。
2 本件の犯行方法
本件サリンの使用方法は、Dの車の運転席の真正面に当たるフロントガラスとフロントウィンドーアンダーパネルの境目の溝付近にその全量を滴下するというものであるが、サリンの持つ高い揮発性や本件犯行現場の当日の天気は晴れで、エアコンを使用するほど気温が高かったことからすると、滴下された本件サリンが直ちに気化して拡散し始め、更に時間の経過によって滴下部分周辺の空気中におけるサリンの濃度が前記致死濃度に達する可能性が高いことは容易に推認できる。
現に、実行犯であるI子は、本件サリンを滴下した直後に、予め注意されていたにも拘らず、犯行現場で一瞬息を吸い込んだために、被告人らとの帰途の合流場所で縮瞳の症状や息苦しさ、気分の悪さが現れ、Hにおいて、サリンの解毒剤であるパムを二回にわたって注射したが、それにもかかわらず、視界が暗く感じたり、気分の悪い状態が約三日間継続したというのであって、仮に適切な治療が施されなかったとすれば、サリン中毒により重篤な症状に陥ったものと認められる。
また、Dの車である三菱ギャランは、空調を外気導入に設定した場合はもちろん、内気循環に設定した場合でも、内外気切換えダンパの表面が多孔質のスポンジでできていることから、完全に気密が確保できるものではないこと、走行中の振動により部材と部材の間に隙間が生じる可能性があること、高速走行中は外気取り入れ口を介して、内外気切換ダンパ外側に空気の圧力が加わり、ダンパ部分に隙間が生じる可能性があること、車体溶接部の隙間や配線等の貫通穴の隙間も存在すること等から、車内への外気の流入を完全には遮断できない構造となっている。
さらに、共犯者であるFは準備書面の内容や弁護士としての経験等から甲府地裁における前記口頭弁論が一五分程度で終わると予想し、その旨被告人にも話していたこと、前日までの共謀過程において、弁論終了後のDの行動が特に問題とされていなかったことに照らすと、被告人らは、前記口頭弁論が短時間で終了し、Dがその後直ちに車を運転して帰途につくことを予想していたといえる。
3 以上に述べたように、サリンの持つ一般的性質、本件サリンの危険性、本件サリンの滴下場所、Dの車の構造、被告人らが予想していた同人の行動及び犯行後にI子の呈したサリンの中毒症状等を総合すると、本件犯行は人を殺害する具体的危険性のある行為ということができ、優に殺人罪の実行行為性が認められる。
したがって、この点に関する弁護人の前記(一)の主張は採用できない。
三 本件サリンと被害者の症状との因果関係について
弁護人は、Dの後記症状の発症時刻は午後六時過ぎで、I子が本件サリンを滴下した午後一時一五分ころから五時間以上も経過してからのものであるが、その間症状が現れないとか症状に気付かないのは不合理であるから、右症状はサリン中毒症ではなく、むしろ他の疾病等の原因(例として、一過性脳虚血発作、くも膜下出血、球後視神経炎等を挙げる。)を疑うべきであると主張する。そして、その根拠として、当日は晴天であり、犯行場所は戸外の駐車場であるから、自動車車体、アスファルト路面も相当高温になっていたはずであり、本件に使われたサリンの量に照らすと、アスファルトの路上に落ちたサリンは短時間で蒸発し、Dが乗車するまでには、全量が蒸発したものと考えられるし、仮にある程度残ったものがあったとしても、走行に伴って当然に外気の流れに晒され、発進後間もない時点ですべてが蒸発してしまったと考えられるというのである。
そこで、検討すると、
1 被害者の自覚症状とサリン中毒症との合致
Dは、本件犯行当日の午後六時過ぎころから視界が異常に暗く感じるようになっているが、これはサリン中毒症状として代表的なものである縮瞳の自覚症状と合致する上、前記のとおり、本件サリンによってサリン中毒に陥ったI子の症状や本件サリンと同一の物が使用されたいわゆる松本サリン事件の被害者が訴えた症状とも酷似している。
2 被害者が本件サリンに被曝した可能性
(一) 本件犯行後のDの行動を見ると、同人は、午後一時三〇分過ぎころに前記口頭弁論が終了し、法廷の外でFと数分間議論を交わした後、P弁護士ら事件関係者と別れて、甲府地裁正門側駐車場に停めてあった自車を運転して出発し、長野県内の別荘地を見て回ったが、発症時刻までの時間の多くをその運転席に座って過ごし、その間既に認定したように、何度も運転席側のドアから乗降したり、窓を開閉するなどしたのであるから、同車の運転席側フロントガラスとフロントウィンドーアンダーパネルとの隙間に滴下されて気化した本件サリンが、窓、ドア、同車の部品の隙間等から車内に流入したり、あるいは車外に出たDが自ら滴下部分に近付くなどして本件サリンに被曝した可能性は極めて高い。
(二) Dの使用車両のフロントウィンドーアンダーパネルの前面運転席側及び右側フロントフェンダーパネル内のカウル右側水抜き穴の付着物から、メチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されている。これらは、いずれも本件犯行日から一年半以上経過後に検出されたものであるが、メチルホスホン酸モノイソプロピルはサリンの加水分解物であり、サリンもメチルホスホン酸も自然界に天然に存在する物質ではなく、かつ、メチルホスホン酸モノイソプロピルは自然界においても長期間変質することなく存在する物質である。
(三) このように、同人に現れた症状がサリン中毒の症状と酷似していること、本件サリンに被曝した可能性が高いこと、本件犯行当日から一年半以上経過後になおD車からサリンの分解物が検出されていることからすると、同人が本件サリンによってサリン中毒症に陥ったと強く推認することができる。
3 長時間経過後に発症する可能性
この点につき、証人Rは、受命裁判官による尋問において、<1>被曝したサリンの濃度が薄く、症状が軽度であった場合には自覚するまでに時間がかかることがある、<2>サリンには蓄積性があるので、微量のサリンに長時間少しずつ被曝した場合にはサリンが体内に蓄積してコリンエステラーゼの阻害が継続し、それが強くなって初めて症状が現れることがある、という二つの可能性を挙げて、被曝から長時間経過後にサリン中毒の症状が現れることも不自然ではない旨述べている。右供述は、それ自体合理的な内容であると認められる上、実際に、本件犯行以外のサリン中毒事件において、被曝から相当時間経過後に発症した事例が多々見られた旨の証人Sの公判廷における供述とも符合しており、その信用性は高いというべきである。
4 結論
以上の諸点のほか、Dは、捜査段階において、「当日の体調は良かったし、寝不足や二日酔ということもなく、他に原因は思い当たらなかった」旨供述し、また、公判廷において、「翌日の朝起きた時には症状は消えており、その後同様の症状が現れたことはなかった」旨述べているほか、前記証人Rは、具体的症状との比較から弁護人が例示するいくつかの病気の可能性については否定していること、Dが本件犯行の二日後に脳神経外科で受けたMRI、MRAなどの検査においても、視力障害につながるような異状は発見されなかったこと、そのほか当時のDの生活状況を見ても別段視力障害の原因となるような出来事が認められないこと、本件サリンを滴下された数時間後に、タイミング良く目の前が暗くなる症状を呈する病気が発症したとするのは余りにも偶然にすぎること等の事情を併せ考えると、Dの前記症状は、本件サリンによるサリン中毒症と認めるのが相当であり、弁護人の前記(二)の主張は採用できない。
四 殺意の有無について
1 被告人の弁解
被告人は、公判廷において、「犯行前日に、Aから『D弁護士に悪業を積むのをやめさせるために、魔法を使って同人をポアする』旨指示され、その意味については特に説明を受けなかったが、その晩、自分なりに考えたところ、『魔法』とはLSDを指し、これを使って『ポアする』とは、LSDの薬効自体によってDを殺害したり、あるいは車の運転中にその薬効が現れることによって同人に交通事故を起こさせて殺害することだと思い至った。しかし、そのような方法で実際に同人を殺害することができるのかどうかは疑問だった」旨供述する。
2 検討
(一) 確かに、被告人が、当時「魔法」がサリンを意味する隠語であることを知っていたとする証拠やGら共犯者との間でこのことを確認するような会話が交わされた証拠は見当たらず、被告人が本件犯行当時、犯行の手段として「サリン」が使用されることまで認識していたとは認められない。
(二) しかし、まず、被告人は、本件当時、教団内で、LSDの隠語としては、「骨」、「L」及び「キリスト」が使われていたことを知っており、また、一の1に認定した本件犯行前の被告人のLSDの使用はAの指示に基づくものであったから、仮にLSDをDに対して使うのであれば、ことさらにAが「魔法」という必要がないことは被告人も理解し得たはずである。さらに、被告人は、その直後のF、Gらとの打合せにおいて、犯行方法は、「魔法」を気化させてDの車の送風口から車内に流入させ、運転中に効き目が現れるようにするというものであることを聞かされているが、前記のとおり、被告人は、本件犯行前にLSDを体験し、LSDに関する書物も読んでいたのであるから、LSDについて、これを気化させて使用するというのは一般的な使用方法ではないことは被告人も知っていたはずである。
また、Hからは、「魔法」の予防薬として、メスチノンの錠剤を渡された際、「有機リン剤中毒解毒剤パム注射液」などと印字された箱を示されながら、これがなければ「魔法」による症状の進行を止めることができないとの説明を受けているが、本件犯行前、被告人自身がLSDを使用して、重篤な中毒症状に陥った際にも、Hから受けた治療は、酸素マスクによる酸素吸入と水分の摂取だけであって、「魔法」についての説明が全く違うものであることは容易に認識し得たはずである。
加えて、被告人は、本件犯行前にメスチノンの錠剤を服用しているが、本件犯行後に、一の6で認定したキリストのイニシエーションのためにLSD一ミリグラムを服用した際には、予防薬も解毒剤も一切用意していないのであって、このことは、被告人がLSDと「魔法」は異なるものだという認識を持っていたことを推認させるものである。
してみると、被告人が、使用される毒物をLSDであると考えていた旨の弁解は容易には信用し難いと言わざるを得ず、かえって、被告人がLSDに固執して弁解することは極めて不自然な供述態度であるというべきである。
(三) さらに、被告人は、謀議の過程において、犯行の手段、方法について、「魔法」を滴下して気化させ、Dの車内に流入させ、運転中に効き目が現れるようにするというものであることを知り、さらに、Hから、前記のとおり、「魔法」の効力に対する予防薬として事前に飲む錠剤を渡された上、パムの箱を示されながら、これがなければ「魔法」による症状の進行を止めることができないと言われ、同人あるいはGからは、「魔法」の薬効によって同人及びHが注射すらできない状態に陥るおそれがあることなどを教えられたのである。この点につき、被告人は、パムの箱を見せられた農道は暗くてよく見えなかった可能性があると弁解するものの、他方で、水色の注射薬を見せられて説明を受けたとも供述していることやHらの立場に立った場合、緊急の際の注射を依頼する以上、その注射薬について間違いのないように相手に認識させることは当然であること、被告人自身医師であり、そのような場合に意識して注射薬を確認することが通常であることを考えると、暗くて見えなかった可能性があるとの被告人の前記弁解自体措信しがたいと言うべきである。
(四) そして、これらの事実に、被告人が、医学部生時代にパムが有機リン系の毒物に対する中和剤である旨を学んだことを考え併せると、被告人は、「魔法」がLSDとは異なるものであり、それが人体に摂取されれば死亡する可能性の大きい毒物であることを容易に認識することができたはずであり、さらに進んで、「魔法」が「有機リン剤」の類のものであることを認識した可能性も高いとしなければならない。
本件犯行直後、被告人は、Dの車と一三メートル余りの距離がある位置に駐車していながら、自車の空調が外気導入になっていることに気付くや、Dの車に撒いた「魔法」が飛来して車内に入ることを恐れ、直ちに内気循環に切り替えたほか、帰り道でHらがパムを注射し合っている場面においては、同人らに対し、自分にも注射を打ってくれるように頼むなど、「魔法」に対する厳重な警戒心を露わにしているが、これらの被告人の行動態度は、被告人が「魔法」を前記のようなものとして認識していたことを裏付けるものと言うべきである。
3 以上によれば、被告人は、「魔法」によってDが死亡するであろうことを認識しつつ敢えて本件犯行に加わったということができ、同人に対する確定的殺意を優に認定することができる。
したがって、弁護人の前記(三)の主張は採用できない。
第二 新宿青酸ガス事件について
弁護人は、本件犯行について、(一)被告人は、共犯者らとの謀議に実質的に参加したものとは言えず、「共謀共同正犯」にいう「共謀」を行ったとは評価できないものであり、犯罪実行の企図も認容もなく、単にCから与えられた指示に個別に従っていたにすぎないものであるから、被告人の本件犯行への荷担は幇助犯にとどまる、(二)殺意については、場合によっては大便所内に居合わせた一人程度の犠牲者が出る可能性は否定できないという程度の認識はあったが、大量の死者が出るとは考えていなかったのであって、未必的殺意に止まるという趣旨の主張をするので、これらの点につき当裁判所の判断を示す。
一 関係各証拠によれば、前提事実として、次の事実が認められる。
1 教団に対する強制捜査
平成七年三月二二日、上九一色村の教団施設が警察に捜索された。このころ、被告人は、教団の阿佐ヶ谷道場で生活していたが、Bから、不当逮捕されるおそれがあるから逃げるようにとの連絡が入ったため、右道場を離れて東京都新宿区富久町所在のマンションに避難した。
2 捜査撹乱計画の進展
一方、Cは、Aから、同年一月ころ、「教団に対して強制捜査がきそうになったら石油コンビナートを爆破しろ。事前にそのための調査をしておけ」などと言われていたことを思い出し、平成七年三月二五日ころ、かつての部下である被告人を呼び出し、石油コンビナートを爆破してそれを過激派の仕業に見せ掛けることの可能性につき調査を命じ、以後、Cと被告人とは頻繁に連絡を取り合うようになった。
同月末から同年四月初めころにかけて、Cは、Bらを通じて、Aから「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」との指示を受けたため、被告人に対し、ガスタンク、東京都庁舎及び東京タワーの爆破や、間近に迫っていた東京都知事選挙の有力候補者数名の自宅付近に爆弾を仕掛けることができるかどうかについて更に調査を命じ、被告人は、これに応じて調査活動を行った。
その後、同月三日ころから同月八日ころにかけて、被告人は、C、H、L、T、Nほか十数名の信者とともに、教団が所持していたけん銃の部品を廃棄したり、薬品等を日光山中に隠匿したりするなどの作業を行った。
同月一一日、教団の青山道場に呼び出され、Hとともに、Jから、捜査撹乱のために、空気爆弾等を使って事件を起こすようにと言われたCは、翌一二日、西荻アジトに、H、L、K、U、V、Wらを集め、「捜査の撹乱をし、教祖の逮捕を免れるようなことをこれから行う」旨告げて、前日のJの言葉を伝えた上、そのための具体的方策につき話し合った結果、ダイオキシンを撒布して騒ぎを起こす方向で話がまとまったので、同人に電話してその了解を得た。なお、被告人は、この話合いの場にはいなかったものの、後にCから右経緯を聞かされている。
さらに、同月一六日、呼び出しを受けて被告人運転の車両で第六サティアンに赴いたCは、Aから「四月三〇日に石油コンビナートを爆破しろ。これから政権交代が起きるまで、三〇日ごとにテロをやり続けろ」などと指示され、帰りの車中でこのことを被告人にも伝えた。
同月一八日、被告人は、C、H、K及びX子とともに、八王子アジトに移り、同所において、Cを中心として、被告人、H、K及び永福町アジトから訪ねて来たLの五名(以下、「Cら五名」あるいは「被告人を含むCら五名」ともいう。)で、Aの前記指示を具体化する方策について話し合った。そして、Aの命ずる石油コンビナートの爆破は不可能であることから、これに匹敵する騒ぎを起こすことで五名の意見が一致し、貨物列車を転覆させる案、青酸ガス(正式名称シアン化水素ガス)を発生させる案、要人に爆弾を送る案などが出されたほか、以前から有力視されていたダイオキシン撒布の場所についても話合いがなされた。この中で、被告人は、「八王子と横浜の間に貨物列車の線路がある」、「ダイオキシンを撒布する場所は兜町の証券取引所がよいのではないか」などと意見を述べた。
同日以降、Lが候補地の下見を行うなどしたほか、被告人を含むCら五名は、全員が揃わなくとも、二人以上が顔を合わせる度に何回となく捜査撹乱の方法について話合いを重ね、その内容についてはその場にいなかった者にも後で伝えられた。
3 犯行方法の打合せとその準備
同月二三日、Jが何者かによって刺され、翌日に死亡するという事件が起こったことから、Cは、同月二五日、右事件によって従前のAの指示に変更がないかどうか、M子を通じて、Aの意思を確認しようとしたが、新しい指示はないということだったため、Cら五名は、八王子アジトにおいて、案として上っていた捜査撹乱方法のうち、実現可能なものについて改めて話し合い、その結果、ダイオキシン撒布については、生成に必要な器具が手に入らないことから断念し、「青酸ガスなら原料があるのですぐできる」とのHの発言で青酸ガスを用いた事件を起こすことに決定された。そして、青酸ガスの原材料調達、製造等の犯行方法につき更に詳しい打合せがなされたが、その中で、被告人は、青酸ガス発生装置を仕掛ける場所として、「映画館やディスコなら暗くて騒ぎが大きくなるだろう」とか「フリーメーソンということを考えるなら、横須賀のディスコがいいんじゃないか」などと発言し、また、これとは別の打合せの機会にも、「青酸ガスを新宿アルタ前の路上で発生させればよいのではないか」との発言もしたが、仕掛ける場所についてはなかなか決まらなかった。
翌二六日ころから、Hは、青酸ガス発生装置の仕組みについて考案を始め、これと並行して、N、Tらに命じて、日光山中に埋めておいた青酸ガスの原料となる薬品類を掘りに行かせるなどし、残りの原材料については、Yに命じて教団施設から八王子アジトに運び込ませていた薬品類を利用することとした。
同月二九日、被告人を含むCら五名は、永福町アジトにおいて、改めて青酸ガス発生装置の設置場所につき話し合い、地上では発生した青酸ガスが拡散してしまい不都合であること、新宿駅には人が多数集まること、監視カメラがないこと等の理由から、地下鉄新宿駅の男子トイレ(以下、「本件トイレ」という。)に仕掛けることに決定した。
翌三〇日の朝方、Hが、試行錯誤の末、青酸ガス発生装置を完成させ、同日、Lがこれを本件トイレに仕掛けたが、Hが塩化ナトリウムと砂糖を取り違えて時限装置を作っていたため、右青酸ガス発生装置は作動せず、計画は失敗に終わった。
同年五月一日ころ、被告人を含むCら五名は、八王子アジトにおいて、前日の失敗の原因について話し合ったが、Hが薬品を取り違えたことを明らかにしなかったため、トイレの清掃作業員が右装置をごみとして回収したためではないかとの意見が出、再び本件トイレに青酸ガス発生装置を仕掛けることになり、同月三日、新たな青酸ガス発生装置を携えて、Hが本件トイレに右装置を仕掛けに行ったが、付近に人通りが多かったことなどから機会を見出せず、結局仕掛けることができなかった。
なお、同日夜遅くには、八王子アジトに戻って、台所で右装置の分解作業をしていたHが、誤って青酸ガスを発生させ、同アジトにいた者全員が危険を感じて台所から被告人のいた部屋に約三〇分間退避するなどの騒ぎがあった。
翌四日、被告人を含むCら五名は、八王子アジトにおいて、青酸ガス発生装置を仕掛ける場所について再度検討し、紆余曲折の末、今一度本件トイレに仕掛けることに決まったが、清掃が済んだことを確認してから仕掛ければ清掃作業員によって右装置が除去されることがないとして、被告人は、Lから、午前一〇時ころと午後二時ころの二回にわたって本件トイレに行き、清掃の終了を確認するとともに、実行役のHが逃走する際に利用する路線バスの発車時刻等を調査して報告するように言われ、これを承諾した。
4 犯行当日の被告人の行動
翌五日朝、被告人は、かつら及びスーツを着用して新宿駅に向かい、同日午前一〇時ころから午前一一時ころまでの間に本件トイレに着いたが、ごみがまだ回収されていなかったことから、その足で同駅西口バスターミナルに行って永福町方面行きの路線バスの発車時刻や乗り場等を調査して暗記した後、本屋で立ち読みするなどして時間を潰し、同日午後二時ころに再び本件トイレに赴いたところ、ちょうど清掃中であった。そこで、一旦その場を離れ、しばらく経ってから戻り、清掃の終了を確認すると、同日午後三時過ぎころ、同駅東口付近の喫茶店において、Lの代わりにやって来たNと落ち合い、同人に本件トイレの清掃の終了とバスの発車時刻等を伝えた。
N及びLを通じて、被告人の報告を伝え聞いたHは、同日午後四時過ぎころ、本件トイレに赴き、個室の一つに入ると、備付けのごみ入れ容器内にごみを装って青酸ガス発生装置(以下、「本件装置」という。)を設置し、同人を待っていたLとともに同駅西口バスターミナルから永福町方面行きの路線バスに乗って逃走した。
5 未遂に終わった経緯
Hが本件装置を仕掛けた後、何者かの手によって、本件装置のうち希硫酸入りビニール袋だけが取り出されてごみ入れ容器の脇に置かれ、その後、同日午後七時過ぎころに清掃作業員がこれらを発見し、本件トイレの出入口付近にあるちり紙の自動販売機の脇に右ビニール袋とシアン化ナトリウム及び発火装置入りビニール袋を並べて置いた。その後、時間の経過によって、発火装置が作動して火の手が上がったが、同日午後七時三五分ころ、本件トイレ付近を通行中の男性がこれを発見して駅職員に通報し、間もなく消火されたことやシアン化ナトリウム粉末と化合して青酸ガスを発生させる希硫酸入りのビニール袋が横に置かれていたために、青酸ガスを発生させるには至らなかった。
二 共謀の成否
そこで、検討するに、
1 謀議参加状況
まず、本件犯行が計画された過程を見ると、右に認定したとおり、平成七年四月一一日のJの指示を受けて検討が始まったものであるが、同月一六日のAの指示によって、その期限が同月三〇日と決まり、被告人を含むCら五名の間でより具体的な犯行方法が話し合われるようになり、同月二五日には青酸ガス発生装置を仕掛けることが、同月二九日にはその場所が順次決定され、同月三〇日及び同年五月三日の二度にわたる失敗を経て、翌四日に最終的な本件犯行方法が決定されている。被告人は、これら一連の過程において、しばしば話合いの場に参加し、参加しなかった場合でも、後にその結果を聞かされており、本件犯行時までには、本件装置の仕組み、仕掛ける場所、共犯者らの凡その役割等、犯行計画の概要につき十分把握していたものと認められる。さらに、被告人が話合いに参加した場合には、単に他の共犯者らが決めたことに追従するのではなく、「ダイオキシンを撒布する場所は兜町の証券取引所がよいのではないか」とか、青酸ガスを発生させる場所としては、「映画館やディスコなら暗くて騒ぎが大きくなるだろう」、「フリーメーソンということを考えるなら、横須賀のディスコがいいんじゃないか」「新宿アルタ前の路上で発生させればよいのではないか」などと、何度かにわたり、進んで提案するなどしており、そこには、本件犯行に向けての主体的態度が見られるというべきである。
2 被告人の役割
本件犯行において、被告人は、犯行当日、本件トイレに赴き、清掃の終了の確認や実行役であるHが逃走する際に使用する路線バスの発車場所やその時刻を調べて報告する役割を果たしているが、本件装置が作動しないうちにごみと間違われて清掃作業員に回収されてしまえば、目的を達成できないのであるから、清掃の終了確認は犯行を遂行するために重要な行為であり、また、犯行後の逃走経路等の調査、報告は、実行役の安全を確保し、犯行を完遂する上で必要な行為であって、本件の実行に際して被告人の果たした役割は決して小さなものではなかった。
3 動機の存在
被告人は、捜査段階において、「本件犯行の前日である平成七年五月四日ころには、マスコミでもAの逮捕が取り沙汰されており、私も、教団の幹部信者らが次々と逮捕されていく中で、Aの逮捕も間近に迫っていると認識し始めていた。本件犯行をやらなければ、国家や警察の手によって教団の教えが失われたり、教団が潰されてしまうという危機感を抱いていた」旨供述し、また、公判廷においては、「同年四月二〇日ころまでには地下鉄サリン事件等が教団の仕業であることを知った。強制捜査の結果、Aが逮捕されたり教団が潰されるようなことになれば、『解脱・悟り』が達成できなくなると考えた」旨述べており、これらの供述によれば、被告人が、本件犯行を行わなければ、Aが逮捕されるばかりか教団自体が潰されてしまい、それによって自己の目標である『解脱・悟り』も叶わなくなってしまうとの危機感を抱いていたことが認められ、被告人自身、教団の信者として、また、一人の修行者として、本件犯行を敢行するについて自分なりの利害を有しており、その意味で十分な動機を有していたものということができる。
4 結論
そして、以上の諸点を総合して考慮すれば、被告人は、単に共犯者らから与えられた指示に従って幇助的に行動していたというに止まらず、共犯者らとの間で互いの行為を利用し補い合って自己の犯意を実現したということができ、共同正犯者として謀議を行い、かつ、謀議の結果を実現しようとしたもので、共謀共同正犯としての罪責を負うべき立場にあることは明らかである。弁護人の前記(一)の主張は採用できない。
三 殺意の程度及び範囲
被告人は、本件犯行前に、Hが「トイレの大便所に仕掛けたら、大便をしている人は逃げ遅れて死ぬかもしれない」と発言するのを聞いたとして、捜査段階においては、「中には大便中であったりして逃げ遅れる者が出たり、青酸ガスは無色なので、気付くのが遅れて死者が出るという事態も否定できないが、教団が潰されるのを防ぐという大義のためには犠牲者が出ても仕方がないと思った」旨述べているほか、公判廷においても、「抽象的な理解として、青酸ガスには人を殺傷し得る能力があるという理解はあった」旨述べて、青酸ガスによって人が死ぬかもしれないという程度の認識しかなかったかのような供述をし、弁護人の主張に沿う未必的殺意に止まるかのような弁解をしているので、この点について検討する。
1 青酸ガス発生の確実性
(一) 青酸ガス発生装置の構造
本件装置の構造は、シアン化ナトリウム粉末約一四九七グラム入りの口の開いたビニール袋の上に、蓋のない段ボール箱(縦約五センチメートル、横約二・五センチメートル、高さ約二・五センチメートル)を置き、その底部に、発火剤である塩素酸カリウム及び粉砂糖の混合粉末約一五グラムを敷いた上、濃度約九五パーセントの濃硫酸入りの小型ペットボトル(直径約二センチメートル、高さ約四センチメートル)を入れ、これらの上に濃度約六二パーセントの希硫酸約一四一〇ミリリットルが入ったビニール袋を乗せるというものである。
(二) 青酸ガス発生の原理
右装置による青酸ガス発生の原理は、設置してから一定の時間が経過すると、小型ペットボトルを腐食して漏出した濃硫酸が、発火剤と反応して発火し、その火勢によって希硫酸入りビニール袋が焼損されて内部の希硫酸が流出し、これがその下にあるシアン化ナトリウム粉末と反応して青酸ガスが発生するというものであり、このことは、化学理論によっても、捜査段階における実験結果によっても、裏付けられている。
(三) もっとも、本件では、実際には青酸ガスが発生しなかったのであるが、これは、本件装置が仕掛けられた後、犯人以外の何者かによって希硫酸入りのビニール袋だけがごみ入れ容器から取り出されてその脇に置かれ、その後、これらを発見した清掃作業員によって、希硫酸入りのビニール袋が本体と分かれた形のまま、本件トイレの出入口付近に並べて置かれ、次いで、濃硫酸が化粧瓶から漏出して発火しているのを通行人が発見して駅職員に通報し消火されるなどの、偶然の出来事が重なったために過ぎない。
2 青酸ガスの殺傷力
(一) 青酸ガスの一般的性質
青酸ガスは、人体に摂取されると、赤血球中のヘモグロビンと酸素の結合の仲立ちをするチトクロムオキシターゼという酵素と結合する働きをし、それによって、右酵素の働きを阻害するので、酸素呼吸が妨げられ、その結果、人を死に致すという性質を持ち、経気道吸入した場合の全数致死量(被験個体数の全数が死亡する量)は、一人当たり約〇・〇六グラムである。
(二) 本件装置によって発生する青酸ガスの量
本件犯行では、工業用に加工された純度九八・九〇パーセントのシアン化ナトリウムが使用されており、この場合、本件装置によって、理論値では約七二〇グラムの青酸ガスが発生することとなり、捜査段階において行われた各種実験によれば、一気に希硫酸がシアン化ナトリウムに展開した場合、すなわち反応率が低い場合を想定した実験でも三三三グラムの青酸ガスが発生することが確認された。
3 人が被曝する可能性
本件当日における本件トイレの利用者数は、本件トイレが新宿駅の地下道に面しており、付近には地下鉄丸の内線の改札口があること、犯行当日は五月五日で祝日であったこと、平成七年五月一三日の土曜日及び翌一四日の日曜日の本件トイレの平均利用者数が一〇〇〇人を超えていることを考え併せると、これと同程度の利用者があったであろうことは容易に推認される。
また、本件トイレ内に充満した気体は、出入口の自然換気によって地下道の方にも一部が排出されるが、大部分は、本件トイレ内にある五箇所の吸気口に吸い込まれて天井の換気ダクトを伝わり、地下二階にある地下鉄線路の天井の側壁付近にある排気口から排出される。したがって、仮に本件装置が作動して青酸ガスが発生していたとすれば、本件トイレの利用者はもとより、地下道の通行人や地下鉄新宿駅のホーム上にいる人々がこれに被曝した可能性は極めて高い。
4 被告人の認識
被告人は、本件装置の仕組みにつき、酸がその容器を溶かすことを利用した時限式装置を用いて、シアン化ナトリウムと酸を反応させることにより青酸ガスを発生させるものであることをHから本件犯行時までに聞かされていた。
また、被告人は、捜査段階において、大学時代に学んだ知識として、青酸ガスを吸入した場合の死に至るメカニズムを認識しており、平成七年五月三日の夜に八王子アジト内で青酸ガスが発生する事故が起きた際には皆と一緒に自室に約三〇分間避難するなどしているのであって、被告人が本件で発生すべき青酸ガスの殺傷力の高さについて十分認識していたことは明らかである。
さらに、被告人は、本件トイレが、その性質上、不特定多数の人が出入りする場所であることを当然理解していたはずであるし、公判廷において、「学生時代から本件トイレを何度も利用したことがあり、付近の地下通路には非常に多くの人が歩くこともあるという理解だった」旨述べており、本件トイレ付近を多数の人が往来することについても十分認識していたと認められる。
5 結論
以上の諸点、すなわち、本件装置の構造、本件トイレの利用者の状況、被告人が本件装置により高い殺傷力を持つ青酸ガスが発生することやこれに多数の人が被曝する可能性が高いことを認識していたこと等のほか、本件が石油コンビナートの爆破、ダイオキシンの撒布に代わるものとして計画されていたものであることに鑑みると、被告人が、本件装置によって確実に人が死ぬであろうという認識、すなわち確定的殺意を有していたものと優に認定することができる。冒頭に摘示した被告人の供述のうち、未必的殺意に止まるかのように述べている部分については到底信用できない。
したがって、この点に関する弁護人の前記(二)の主張は採用できない。
第三 東京都庁爆弾事件について
弁護人は、(一)被告人の関与は、前記第二の新宿青酸ガス事件の犯行と同様であって、共犯者らと共謀したという実態はなく、したがって、本件各犯行のうち一の爆発物製造については無罪であり、二の爆発物使用については幇助犯にとどまる、(二)被告人は、同二のうち、殺人未遂の点については、青島知事が死亡する可能性があるとは考えていたが、その殺意は確定的なものではなく、また、同知事以外の人が死傷するような事態は全く考えていなかった、(三)また、本件各犯行のうち爆発物取締罰則違反の点については、いずれも同罰則一条にいう治安妨害目的がなかった、と主張するので、これらの点につき当裁判所の判断を示す。
一 関係各証拠によれば、前提事実として、以下の事実が認められる。
1 Aのメッセージと犯行方法の決定
被告人を含むCら五名は、判示第二の犯行が未遂に終わったことを報道で知り、教団やAに対する警察の捜査を撹乱するには至らなかったとして、次なる撹乱手段について考えていたが、同年五月八日ころ、八王子アジトにやって来たM子から、Aが全出家信者に宛てたパソコン通信で「一週間以内に何が起きても動揺しないように」との通知を送ったことや、人伝の言葉として「Aが『有能神が怒っている』と言っている」ことなどを聞かされた。M子が帰った後、被告人を含むCらは、Aの言葉をどのように解釈すべきかについて議論した結果、「一週間以内にAが逮捕されるので、そのことを同人が怒っている」という意味だとの結論に達し、「爆弾ならすぐ用意できる」旨のHの発言を受けて、Aの逮捕を免れるために、一週間以内に、爆弾を作って要人に送りつけることとした。そして、爆弾の名宛人については、同年四月に就任した世界都市博覧会の開催中止を主張して都議会と強く対立し世論を賑わせていた東京都知事の青島幸男(以下、「青島都知事」という。)が候補に上り、同知事宛にすれば前記博覧会中止に反対する者の犯行に偽装できるなどの理由で、同知事を標的とすることとし、差出人については前記博覧会中止に強く反対していた都議会議員の一人であった都議会自由民主党幹事長の田中晃三に、その住所については前記博覧会の中止によって大きな損害を被ると見られていた東京都中央区銀座所在の日航ホテルにそれぞれすること、爆弾は書籍に偽装して郵送すること等が決められた。この話合いにおいて、被告人は、「自宅に爆弾を送れば、青島都知事が自分で郵便物に目を通すはずだ」などの発言をした上、Cから差出人を誰にしたらよいかとの意見を求められて田中晃三の名前を挙げている。
以後、被告人を含むCら五名は、全員が揃わなくとも、うち二人以上が顔を合わせる度に、何回となく本件各犯行の具体的方法につき話合いを重ね、その内容についてはその場にいなかった者にも後に伝えられた。
2 本件爆弾の製造
H及びKは、同月九日ころから、前もって日光山中から掘り起こして八王子アジトに運び込んでおいた薬品類を利用して、爆薬であるRDX(正式名称トリメチレントリニトロアミン)及び起爆剤であるアジ化鉛の製造に取り掛かり、一方、起爆装置の材料や書籍を用意して八王子アジトにやって来たZは、Hと相談しながら、書籍を開くと爆発する仕組みの起爆装置の製作を始め、同月一一日、H及びZが、完成したRDX及びアジ化鉛を単三乾電池等とともに書籍の中に組み込み、爆弾(以下、「本件爆弾」という。)を完成させた。
このころまでに、被告人は、Hらが「爆薬はRDXを使おう」と言っているのを聞いており、また、実際に八王子アジトの台所で爆弾製造作業中の同人から、「これがRDXで強力な爆薬なんだ」などと教えられた。
3 犯行当日の被告人の行動
本件爆弾が完成した後、被告人は、Hの指示に従い、ゴム手袋をはめて指紋が付かないようにした上、ペンと定規を使って茶封筒の表面に名宛人住所氏名として都知事公館の住所及び青島都知事の氏名並びに速達郵便である旨を書き、裏面に差出人住所氏名として田中晃三の氏名及び日航ホテルの住所を書いた。
また、共犯者らの中では警察に比較的顔を知られていないとの理由から、被告人が本件爆弾を投函することに決まったが、投函した際の衝撃によって本件爆弾が爆発することを恐れる被告人に対し、Hは、「本を開けば爆発するようになっているが、今はゴムでくるんであるから大丈夫だ」などと言って安心させた。
同日午後四時ころ、被告人は、かつらとスーツを着用し、指紋が付かないようにタオルでくるんだ本件爆弾をショルダーバッグに入れて八王子アジトを出発し、同日午後六時ころ、新宿駅に到着すると、適当な郵便ポストを探し求めて、同駅西口方面から同都渋谷区所在のJR代々木駅付近を一時間ほど歩き回った挙げ句、同日午後七時ころ、同都新宿区内の路地にある郵便ポストに本件爆弾を投函した。
その後、被告人は、永福町アジトに寄って本件爆弾を投函したことをLに報告してから、八王子アジトに戻り、Cらに対して同様の報告をするとともに、「投函する際に爆発するかと思って緊張した」旨述べた。
二 共謀の成否
そこで、まず、共謀の成否について判断する。
1 動機の存在
被告人は、教団やAに対する捜査の矛先を逸らす目的で行われた判示第二の犯行に共犯者として加わり、それが失敗に終わった後、Aから一週間以内に同人が逮捕される虞があることや破壊活動を続けるようにという趣旨の言葉を伝え聞いており、判示第二の犯行以上に差し迫った状況の下で、更なる事件を起こす必要があったといえる。
2 謀議参加状況
被告人は、犯行方法についての打合せの中で、爆弾を送り付ける標的として青島都知事の名前が挙がったのを受けて、青島都知事が自分で郵便物を開けるであろうなどと言って積極的に賛成した上、差出人として採用された田中晃三の名前を提案しているのであって、被告人は謀議に対して主体的に関与していたというべきである。
なお、Cが右打合せにおいて、「爆弾ならすぐ用意できる」と発言したことや被告人が同年四月二五日ころからHらが八王子アジトで爆弾を作っている場面を現実に見て知っていたことに照らすと、青島都知事に爆弾を送るという計画の中には、そのために自分たちで爆弾を製造するということも当然に含まれていたことは明らかである。
3 被告人の役割
被告人は、本件爆弾を郵便物として郵便ポストに投函したが、これは、判示第三の一の爆弾製造の犯行によってできた物を利用して、判示第三の二の爆弾使用及び殺人未遂の犯行を実行したものにほかならない。
4 結論
以上に見たように、被告人は本件各犯行につき動機があること、謀議の過程で積極的に意見を述べ、それが実際の犯行方法に採用されていること、被告人が分担した役割に鑑みると、被告人は、単に共犯者らの犯行を容易にしたというに止まらず、共犯者らとの間で互いの行為を利用し合い、補い合って共通の犯意を実現したということができ、優に共同正犯と認められる。
したがって、弁護人の前記(一)の主張は採用できない。
三 殺意の程度
被告人は、捜査段階において、「青島都知事が本を開いた時に爆発すれば、本人に死傷の結果が生じることは分かったが、公職に就いている以上、そのような要人テロに遭うことも覚悟しなければならないだろうと考え、自分の行動を正当化した」旨述べ、公判廷においても、「青島都知事が亡くなっても構わないというような理解というものはあったかもしれません。よく分からないというのが本当のところです」などと述べて、弁護人の主張に沿い、本件爆弾によって人が死ぬかもしれないという程度の認識しかなかったかのように供述するので、この点について判断する。
1 本件爆弾の殺傷能力
(一) 本件爆弾の仕組み
本件爆弾は、書籍の内部をくり抜いて、その中に爆薬であるRDXを充填したプラスティック製ケースを入れ、右ケースに起爆剤であるアジ化鉛を詰めたグロープラグを取り付け、右プラグの導線に単三乾電池一個とスイッチ一個を繋いだものであり、右スイッチには、表紙を開ければ絶縁紙が外れて通電し爆発するような細工が施されている。
(二) RDXの性質
RDXは、通常、軍隊で兵器などに用いられる爆薬であり、一般に、爆風圧が約五重量キログラム毎平方センチメートルで人が即死するといわれている。
(三) 本件爆弾の形状及び使用方法
本件爆弾は、外形が書籍であり、また、東京都知事公館の青島都知事に宛てた郵便物として、切手を貼られた上で郵便ポストに投函されたものであるから、青島都知事本人、その家族、あるいは関係する都庁職員が開封して手に取り、その表紙を開くことが当然に予定されていたといえる。そして、書籍を読む際の通常の姿勢を想定すれば、爆発時における本件爆弾と人体の枢要部である頭部や胴体との距離は三〇センチメートル前後であると考えられる。
(四) 本件爆弾による爆風圧
本件爆弾を製造したHの供述に基づく実験結果によれば、本件爆弾に使用されたRDXの量は約一七・七グラムであったと認められるところ、その場合、爆発地点から三〇センチメートル離れた地点における爆風圧は、約二六重量キログラム毎平方センチメートルであり、人が即死する前記数値をはるかに上回っており、本件爆弾の殺傷力は極めて高いというべきである。
2 被告人の認識
被告人は、公判廷において、「本件爆弾に使用された爆薬が何であるかを正確には知らされていなかった」と供述するが、事前に共犯者らからRDXを使おうという話を聞いていた上、現に爆薬を作っていたHから、「これがRDXで強力な爆薬なんだ」と言われたというのであるから、本件爆弾にRDXという強力な爆薬が使用されたことを十分知っていたものと認められる。
加えて、被告人は、郵便ポストに投函した本件爆弾が爆発し、自分が怪我するのを恐れていたのであるから、その殺傷力の強さを十分認識していたことは明らかであり、また、本件爆弾が表紙を開けると爆発する仕組みになっている書籍型爆弾であることや、それが郵送されることについても、十分に認識していた。
3 結論
以上のように、本件爆弾が強い殺傷力を持つことやこれが人の至近距離において爆発する可能性が極めて高いことを被告人が認識していたことに鑑みると、被告人は、本件爆弾によって確実に人が死ぬであろうという認識、すなわち確定的殺意を有していたものと認められるのが相当である。冒頭に摘示した被告人の供述については信用できない。
したがって、この点に関する弁護人の前記(二)の主張は採用できない。
四 治安妨害目的の有無
爆発物取締罰則一条にいう「治安ヲ妨ケ」とは、社会一般の安全と秩序を害することをいうところ、被告人が本件各犯行に及んだ動機は、当時世間の耳目を集めていた青島都知事に爆弾を送って騒ぎを起こすことによって警察の捜査の矛先を教団から逸らすようにするというものである。しかも、被告人の公判廷における供述によれば、「騒ぎが大きければ大きいほどいいと、単純にそう考えていた」というのであるから、被告人は、本件各犯行によって、警察が捜査に乗り出したり、大々的な報道がなされるなどして、人々が不安に陥るような事態が発生することを想定していたものと考えられる。加えて、本件犯行に先立ち、教団では、教団に対する強制捜査の矛先を逸らすために平成七年三月にいわゆる地下鉄サリン事件を引き起こし、被告人は、本件犯行当時までには、同事件が教団によるものであることを認識していたことや本件犯行に先立つ数日前には、被告人らの手によって、判示第二の新宿駅青酸ガス事件が敢行されており、このような事件が起きているという当時の社会情勢の下で、都知事を標的とした爆弾事件が起きれば、社会不安は一層募り、その安全と秩序は大きく侵害されることは明らかであって、被告人らは、当時の自分たちの置かれた状況からこのことは容易に認識できたと考えられる。そして、これらに加えて、本件犯行の具体的態様をも併せ考えると、被告人らに「治安を妨げる目的」があったことは十分に認められるというべきである。
この点に関する弁護人の前記(三)の主張も採用できない。
第四 責任能力について
一 弁護人の主張
弁護人は、「教団は典型的な破壊的カルト集団であり、そこでは信者を勧誘して入信させ、教団につなぎ止めておき、更には教団の指示する様々な違法行為をなさしめるために、いわゆるマインドコントロール(心理操作)という技法を用いてきた。被告人は、心理操作を受けたからこそ違法行為に荷担したのである。この心理操作は、社会通念に照らして極めて異常、不相当なものであり、通常の説得・布教・伝道とは一線を画されるものであり、被告人は、本件各犯行当時、少なくとも限定責任能力の状態にあったものである」旨主張する。
そして、教団における心理操作の過程について、「教団は、勧誘の対象者を見定めると、霊のレベルが高いと評される人物と会わせたり、ビデオを見せるなどのきっかけを作り、興味を持たせる。そして、最初は簡単な修行体験をさせて軽いトランス状態を引き出し、もっと本物の修行をしてみたいという動機を形成させる。次に、二~三週間という比較的長期の合宿体験をさせる。ここでは、かなり本格的な強烈な体験をさせ、睡眠時間を削り、食事を一食にするなどの生理的剥奪状態も作り出し、特殊な呼吸法、マントラを唱える、立位礼拝の繰り返しなどをさせて、強い神秘体験をさせ、宗教的・精神的な満足に溢れた充実した体験をさせる。この間に、教団の特殊な教義も説示され、教祖がいかに特別な能力を持った霊的指導者(グル)であるかが強調され、グルの力によって神秘的な体験が与えられたものであること、また自分も特別の精神的な能力を持っているかのように感じさせる。そして、入信・出家へと動かして行き、その後も連絡を絶やさず、モチベーションを維持・強化して、継続的な心理操作を実現する。このような修行過程を通じて、『教学』と称して、教団に最も特徴的な教義、即ち、『自我の滅却』、『煩悩を否定する』、『グル(教祖)との合一』という教義を繰り返し徹底して教え込んでいく。それは要するに、信者の主体的な判断や選択、自発的な行動を禁止して、一切の主体性を放棄して、ひたすら教祖の命ずるところに従って生きることが『解脱』のための道であると信じさせ、積極的にそのように行動させる教義である。それは単に説法を説くというレベルではなく、修行と一体化して何度も復唱させられ、暗記するまで機械的に注入させる。その一方で、ワークと呼ばれる作業が課され、これにも修行としての意味を持たせている」、「継続的な睡眠不足、栄養障害、過酷な修行の繰り返しの中、様々な観念が教義として暗唱させられ、同時に修行によって信じられないような神秘体験を得る。こうして、普通なら荒唐無稽なものとしか受け取れない超能力や超自然的な教義が当然のもののように受け入れられていく。そして、信者同士は横の意思疎通を禁止され、また外部からの情報は陰謀による虚偽宣伝であるとして、情報は遮断される。フリーメーソンという秘密結社が世界を制圧しようとしており、教団に対して攻撃を仕掛けているという教義を信じ込ませることにより、外からの批判を排斥する態度を強めるとともに、被害者意識の共有によって、より堅固な共同意識を有するようにさせ、自分達の共有する世界観、価値観、教義、グルの教えを絶対的なものとして疑わない集団が形成されていった」と強調する。
二 関係各証拠によると、教団においては、特に修行過程において、弁護人主張のような心理操作を目的とすると強く窺われる方法が採られ、神秘体験を強めるために薬物を使用することまで行われていたことが認められる。そこで、責任能力の判断の前提として、被告人について、教団への入信ないし修行の経過を少し詳しく見ると、次のとおりである。
1 被告人は、平成四年春、Bが電話相手の怪我をしている箇所を言い当てたりするのを見て、神秘力を身に付けていると思い、教団に強い関心を持ち始めた。そして、同年六月二九日、Bらとともに被告人を訪ねてきたCの話を聞き、同人らが仏教経典やヨーガ経典に裏付けられた神秘力を持っていることや同人らの死に対する洞察が唯物論を基にした西洋医学的な捉え方と全く異なり、仏教やヨーガを根本とするものであることを知って、教団に入信すれば、死と死後の世界がどうなっているかという疑問に対する何らかの解答が得られるのではないかと考え、翌三〇日、教団に入信した。
しかし、被告人は、未だ医学部の学生で在家信徒でもあったため、特に教団活動はせず、学生生活を送る傍ら、Cから教わったヨーガの行法を個人的に行ったり、東京都内の教団道場に通い、ヨーガや仏教の修行をしていた。
2 同年八月ころ、被告人は、群馬県高崎市で開かれた教団主催のセミナーに一週間参加して、ヨーガの呼吸法、仏教の教学を学び、被告人によれば、その二週間ほど後に、尾てい骨の辺りから熱いマグマのようなものが体の前面を上がってきて、クンダリーニの覚醒かと思われる体験をした。しかし、同年秋ころからは、医師国家試験の受験勉強に忙しく、平成五年一月ころまでは、教団道場へも通わず、自宅でヨーガを行う程度であった。
平成五年三月、医師国家試験の受験を終えた被告人は、米国旅行中、ボストンの美術館の仏像を見て、体の中を気が鋭く上昇するのを感じ、また、青山道場において、Cからツァンダリーと呼ばれる儀式を受け、エネルギーを循環させる修行法を学んだ。
3 被告人は、平成五年四月一六日ころから約三週間、上九一色村の第二サティアンの道場で密教の集団修行に参加した。そこでは、Aの歌のCDに合わせて歌を歌い、ヨーガの呼吸法を行ってこれを七時間繰り返し、その後の一時間は蓮華座を組んで瞑想するという前後八時間に亘る修行を一日三回反復し、これを三週間継続した。被告人によれば、そうするうち、体の中を気が流れていることを感じるようになり、また、体が勝手に動く、特に指が手印を組んで動くという体験をして、根源的なショックを受けたとのことであり、輪回の流れというものがあるのではないかと考え、漠然と、三〇歳ころまでには本格的に密教修行を行わなければならないだろうと思うようになった。
4 その後、医師国家試験に合格した被告人は、同年六月ころから乙山大学医学部附属病院内科に研修医として勤務したが、同年九月ころ、教団の青山道場に通ってヨーガの呼吸法を再開するようになり、同年一〇月ころには、患者の臨終時に、自分の体内を気が強烈に上昇する等、死者のエネルギーが開放され、それが自分の体に伝わったことを実感し、出家して修行を積めば、自分も神秘力を身に付けることができるだろうし、死及び死後の世界に対する洞察も深めることができるだろうと思い、他方で、医師と密教修行の両立について困難を感じたことから、教団に出家することを決意し、同年一二月末に同病院を退職した。
もっとも、被告人としては、BやCと相談のうえ、教団やAの教えが本物でなかったり、密教修行は一生を賭けるほどのものでもないことなどが判明した場合には、一年で出家をやめて医者に戻ろうと思っていた。
5 平成六年一月四日、被告人は、上九一色村で出家修行を開始し、初めの一週間は前記3と同様の修行を行い、その後同年二月末まで、帰依マントラという密教的な呪文を三〇万回唱えることやマハーヤーナと呼ばれている教団の過去の機関誌四〇ないし五〇巻の五回音読、さらに、Aの説法一〇〇時間くらいを教義としてまとめたいわゆる教学を録音テープで聞き、その試験を受けるなどの修行を行った。そして、同月一二日に、被告人は、大阪府内の実家に帰って出家した理由を両親に説明し、同月一四日には正式な出家手続をとった。
6 その後、被告人は、Aの指示により、約二か月間で出家修行を終え、同年三月一日から、ワークと称する教団活動に従事することとなり、出版部に配属されて、教団の本を作るための資料収集作業や若干の文書作成作業に携わった。判示第一のD弁護士殺人未遂事件に関与したのはこの間のことである。なお、これ以後、被告人が修行生活に戻ったことはない。
7 同年六月ころ、教団内に国家を模した省庁制が敷かれ、被告人は、諜報省(CHS)に配属となり、日本の教育問題、電力事情、国際情勢等を研究し、その研究結果を同省長官であるCに提出する傍ら、フランスやロシアにAらとともに渡航し、ロシアでは他の教団信者とともに軍事訓練に参加している。
8 同年九月初めころ、被告人は法皇官房に異動となった。法皇官房は、それまで省庁間の調整や信者名簿の管理等を行っていたが、このころからAの指示で、在家信徒及び出家修行者の教化並びに在家信徒の勧誘等も行うようになった。そして、AとB、被告人ら法皇官房が話し合って、平成六年一〇月ころ、ヴァジラクマーラの会を組織し、ダーキニーと呼ばれる女性信者を利用して、在家信徒が熱心に修行を行うように仕向けたり、非信徒が在家信徒になるように勧めたりした。被告人は、このような中で、主として教団の修行を新たに体系化するワークに従事した。被告人が関与し、構築された体系は、<1>一定回数の決意文を唱えさせて、表層意識を浄化させること(第一段階)、<2>誘導瞑想を行い、潜在意識に教義を人れ、浄化させること(第二段階)、<3>催眠薬を使って対象者を半覚醒の状態にさせ、超潜在意識に教義を入れ、浄化させること(第三段階)である。右修行の第一段階では、用語集のテストも実施されたが、このテストは、被告人がAと相談して作成した教義に関する用語の解説集である「サマナ用(標準)用語解説集」から出題された。また、被告人は、Aの指示を受け、信者らに対し、催眠薬を用いて、右第三段階の修行を施したこともあった。法皇官房には、同年一一月ころ、Aの指示で、さらに学生班ができ、被告人はそのリーダーとなって、主に大学生に対する教団入信の勧誘、入信から出家に至る導きなどを目的として活動していた。
9 そうするうちに、平成七年三月二〇日、いわゆる地下鉄サリン事件が発生し、やがて、Cから呼び出され、同人と行動をともにする中で、被告人が判示第二の新宿青酸ガス事件及び判示第三の東京都庁爆弾事件に関与することになったのは既に認定したとおりである。
三 以上のとおり、被告人についても、程度の問題はあるものの、弁護人主張のような修行方法が一定程度とられたことは否定できない。さらに、被告人が、公判廷において、教団の修行方法について、「<1>『グルとの合一』という観念が、自我を崩壊させるための手段としての本来の意味を超えて、最終解脱者であるAと一緒に転生するために大切なことであると強調されていたこと、<2>慈悲が弱いこと、即ち、教団の外の世界との接触を持たなかったため、慈悲の瞑想が内向して行き、外部世界と接触しても耐えて行けるだけの土台ができていないこと、<3>『観念の破壊』が誤って強調され、信者の心を曲げるための道具として使われていたこと、すなわち、一般信者が常識として述べたことを、それは観念だと言って否定し、常識的な事柄が否定されて行ったこと、の三点において、危険なものを内包していた」旨総括するが、その指摘は関係証拠に照らし基本的に正鵠を得ていると評価できることや「教団では、一握りの特権集団であるフリーメーソンが、全世界の人たちを支配し、コントロールし、富を収奪しているということが信じられていた。Aは、平成六年の二、三月ころ、教団がフリーメーソンから毒ガス攻撃を受けていると言い出し、教団では、解毒剤やオゾン発生装置、空気清浄機等が作られていた。また、教団の出家信者の殆どは、一九九七年にハルマゲドンが起こるというAの予言を信じていた」などと供述していることに照らすと、被告人が、精神的にも、オウム真理教団という一般社会とは異なるモラルや価値観が支配し、自分たちだけの一元的な隔絶した部分社会に依存し、深く関わって生活をする中で、それまで培ってきた価値基準が一般社会のそれと遊離し、相当程度変容していったことが窺われる。
しかし、他方で、被告人は、公判廷において、「出家以前の状態と比べたら、やはり、法律のような考え方、あるいは世間的な常識の方には思いが至らないということは言えると思う」と留保を付けながらも、「教団での出家生活においても、人を殺してはいけない、物を盗んではいけない、という規範を忘れてしまうことはない。そういう感覚は残っている」と供述している。このことは基本的に、是非の弁別能力、行為が違法であるかどうかを判断する能力が一定程度健全であったことを示すものであって、責任能力の有無、程度の判断において、考慮されるべき一つの事情である。
四 そこで、被告人の責任能力の有無について検討することとする。
1 責任能力とは、行為の是非弁別能力及びこれに従って行動を制御する能力をいうが、その実質は犯人に対する非難可能性であるところ、この非難可能性については、文字どおりの「意思の自由」ではなく、共同社会に身を置く以上、共同社会における秩序維持という観点から、共同社会あるいは一般人の納得性も考えて、規範的に捉えるべきものである。そして、これを本件について見ると、被告人は、オウム真理教という密教修行の教団に入信し、出家した信者であるが、密教における修行は、修行者が、教祖に帰依し、自己の価値判断よりも教義ないし教団の価値判断を優越させてこれに従うことが当然の前提とされようから、修行者は、自己の意志に基づいて入信、出家を選択した以上、その後教義ないし教団の価値判断を優越させて違法行為を行った場合、その結果についても責任を負うのが原則であり、それが自己の判断ないし選択を超えるものであったとか、教義に則した宗教的確信に基づく行為であるとの理由をもって免責を主張することは許されないとしなければならない。もとより、その行為について責任の減免が認められる場合もあり得るけれども、それは前提となる客観的事実についての認識を欠いている場合や例えば精神病に罹患してこれに支配され、最早自分の行為とは言えないほどに、行為の是非を弁別し、弁別したところに従って行動する能力が阻害されている場合と同視できるほどの例外的な事情が認められる場合に限られるというべきである。
2 各犯行時の責任能力
そこで、本件各犯行時の被告人の責任能力について、具体的に検討する。
(一) D弁護士殺人未遂事件について
(1) 被告人が、D弁護士殺人未遂事件に荷担したのは、平成六年五月九日であるが、その日は被告人が出家して僅か四か月ほど後にすぎない。この間、被告人は、前記のとおり、第八サティアンにおいて約二か月間の出家修行を終え、更に出版部において約二か月間のワークを経験しているのであるが、この短期間の出家生活によって、それまでの約二五年間の生活によって培われた被告人の価値基準ないし規範意識が著しく変容することは、容易には考え難い。
(2) D弁護士殺人未遂事件においては、オウム真理教団による犯行と発覚することのないよう、サリンの滴下実行者であるI子に変装をさせ、ことさらに被告人運転車両とG運転車両を裁判所構内の正門側と東門側の各駐車場に別々に駐車させること等を謀議して、これを実行しているが、このような犯跡隠蔽の謀議は、被告人らにおいて、本件犯行が社会的に容認されず、犯罪として追及されるべきものであることを十分に認識していたことを示すものである。また、被告人自身、I子が滴下する際には、怪しまれないようにI子から目を逸らせたと述べているが、このような行動態度もこれを裏付けるものである。
(3) さらに、被告人は、検察官に対する供述調書で、「平成六年五月八日の夕方、第六サティアン一階のA教祖の部屋で、同人から、D弁護士を殺害する計画に私を参加させる指示をいただいたが、私も、初めて人を殺害するなどと聞かされて頭の中が真っ白になってしまい、『はい』としか答えようがありませんでした」、「私自身が実際に殺人に関与するという衝撃はありました」、「殺人だけはやりませんなどと断る気持ちは全くなく、むしろ衝撃はあったものの、A教祖に教団の秘密のワークを指示された時には、私がそのようなヴァジラヤーナ世界に入るステージにまで達したのを認められ、選ばれたという誇らしさのような気持ちや教祖の指示に従って功徳を積むことになるという気持ちも湧きました」(乙B1)とか「D弁護士が『魔法』の毒の影響で交通事故などを起こしていないのを聞き、計画は失敗だったのかと感じ、人を殺さずに済んだというほっとした安堵感があった覚えがあります」(乙B2)と述べているところ、これらは、教団に対する脱退届提出後相当期間経った段階での供述であることを考えると、いささか誇張されている面もないではないが、当時の被告人の心情を物語るものとしては基本的に自然な内容であり、その供述の信用性は肯定できるというべきである。
(4) 以上の事実のほか、被告人は、本件犯行の謀議の段階から犯行の準備、実行行為時の関わり等基本的に合目的的な行動をとっており、本件犯行の動機も、与えられたワークを果たし、自身の修行の深化を図るという被告人の立場に立てば、合理的で了解可能なものであることに照らすと、被告人が、本件犯行当時、行為の是非善悪を十分に弁識し、これに従って行動する能力を十分に有していたことは明らかである。被告人は、単にAの指示に、より多くの価値を置き、これを優越させて敢えて犯行に及んだものにすぎないというべきである。
(二) 新宿青酸ガス事件及び東京都庁爆弾事件について
(1) 新宿青酸ガス事件が敢行されたのは平成七年五月五日であり、東京都庁爆弾事件は同月一一日に投函されて敢行されたものであって、これらの各犯行は、被告人の出家から約一年五か月を経過していた時期のものであり、被告人は、この時期の自身の状態について、公判廷において、「『グルとの合一』や『観念の破壊』等による修行の結果、常識が働かない状態に陥っていた」旨供述しているところである。しかし、他方、被告人は、前記のとおり、平成六年三月以降は本格的な修行生活は送っておらず、いわゆるワークに従事していただけであり、ワークそれ自体は弁護人が指摘するような過酷な修行ではないから、被告人の事理弁識能力、行動制御能力が、D弁護士殺人未遂事件当時に比べ、果たしてどの程度変容し得たのか根本的な疑問を感じざるを得ない。加えて、被告人は平成六年九月初めころからは法皇官房に所属し、在家信徒や出家修行者の教化、在家信徒の勧誘等を行い、ヴァジラクマーラの会を組織し、教学体系の新規構築の一翼を担い、教義に関する用語の解説集を作成するなどし、さらには、信者らに対し催眠薬を用いた修行を施すなど、むしろ、被告人自身が積極的にマインドコントロールないし心理操作をする立場になっていたことや被告人の高い知的能力を考えると、被告人は教団におけるそのような心理操作についてのメカニズムを理解、認識していたと考えられるのであり、「観念が破壊され」、「常識が働かない状態に陥っていた」とする前記公判廷の供述にはにわかには信用できないものがあるというべきである。また、このように被告人自身が信徒に対し、積極的にマインドコントロールないし心理操作をする立場にあったことは、責任能力を規範的に捉える観点からは重視すべき事柄である。
(2) また、被告人は、同年四月ころからCと行動をともにする過程で、教団がB1さん拉致事件を始めとして様々の違法行為を行ってきたことを知り、同月下旬までには、いわゆる地下鉄サリン事件も教団による犯行であることを知ったのであり、被告人自身、B1さん拉致事件や坂本弁護士一家失踪事件については、教団に騙されていたという意識を当時持ったというのであるから、当然のことながら、本件各犯行までの時点において、教団がフリーメーソンによる攻撃を受けているという事実についても、疑問を持つべきであり、またそれは十分可能であったはずである。
(3) 新宿青酸ガス事件においては、被告人はかつらで変装して下見に行き、実行役の逃走用バスの発車時刻等を確認している。また、東京都庁爆弾事件においては、差出人に自民党の都議の名前を用いているほか、被告人自身、指紋や筆跡が分からないようにして本件爆弾入りの封筒の宛名書きをした上、かつらで変装して街に出掛け、やりたくないのでゴミ箱に捨てようかなどと考えながら一時間ほど逡巡した後、指紋が付かないようにタオルでくるむようにして本件爆弾を投函するなどしている。これらも、本件各犯行が、社会的に到底許されることでなく、警察によって捜査、追及を受けるべき事柄であること、すなわち、その違法性を十分に認識していたことを示すものである。さらに、被告人は、公判廷において、新宿青酸ガス事件で被害者が出なかったことをテレビで知り、ほっとしたものがあったと述べているが、これも被告人が当時違法性の意識を持っていたことを物語るものである。
(4) さらに、被告人は、検察官調書において、両事件に関わっていく契機となった平成七年三月二五日ころのCからの働き掛けについて、コンビナートの爆破等の研究調査の指示は、過激派による犯行を仮装した破壊活動をやろうということだと理解したが、「私は、法皇官房に移ってから、信徒の勧誘に力を注ぎ、教団の陰の活動として違法行為に携わっていたCさんとは立場が違っていると思っていましたので、そんな違法行為に関与することには、素直には乗り気になれませんでした」(乙4)と述べるなど、当時の被告人の是非弁別能力が十分に保たれていると解すべき供述をしているところ、その内容は、当時の被告人の置かれた複雑な立場を反映したもので、被告人だけが述べ得る事柄であって、捜査官の誘導等によって得られるものではないことを考えると、その信用性は高いというべきである。
加えて、東京都庁爆弾事件については、その検察官調書において、「同じテロ行為をするにしても、青酸ガス事件の時には、トイレの清掃の確認等の担当で、直接青酸ガス発生装置を仕掛ける役割ではありませんでしたから、比較的気が楽な面があったのに対し、今回は郵便物爆弾をポストに投函する役割であり、その役目を果たすのが非常に重荷に感じられました」、「電車の中では、警察官に職務質問をされたら終わりだなとか、こんなことやっていいんだろうかとか、いろいろ考えて落ち着きませんでした」、「新宿に向かう電車の中でポストに投函しようかそれとも捨ててしまおうかと迷いだし、決心がつきかね、場合によっては、公園のゴミ箱にでも捨ててしまおうかと思いました」、「青島都知事が本を開いた時に爆発すれば、本人に死傷の結果が生じることは分かりましたが、公職に就いている以上、そのような要人テロに遭うことも覚悟しなければならないだろうと考え、自分の行動を正当化しました」、「捜査を撹乱して尊師の逮捕を免れるという目的に照らし、本当に効果があるのかという疑問があったものの、やるだけの価値はあるかもしれない。尊師がやれと言っている。Cさん、Hさん、Lさんらが自分の人生を捨て、死刑を覚悟でやっているのに、私が、そんな三人を裏切ることはできないと思い、投函することに踏ん切りをつけたのです」などと供述している(乙A6)。これらの供述も、被告人が本件犯行の違法性を十分認識していたことを物語るものであるが、事態の推移に鑑み、自然な内容で、基本的に信用性を肯定できるものというべきである。
(5) 次に、本件各犯行後の被告人の行動を見ると、東京都庁爆弾事件後間もなくCが逮捕されたことを知った被告人は、Cの逮捕に動揺を見せたHと別れ、一人で逃亡生活を始めている。そして、その理由について、公判廷では、「見張り役のCさんがいなくなった。やっと解放された、もう早く逃げたいとの思いが強かったろうと思います」、「Hさんが、私に向かって、以前日光山中に埋めた薬品の中に青酸ガスの原料が入っていると言いました。Hさんは、一人になっても事件を起こしなさいと言ってるふうに取れました。私は、それは怖いと思いました。それで、一緒に居たくないという思いになりました」旨供述しているが、これは、先の検察官調書で、本件各犯行に関わることになった経緯について、Cに必死に説得され、「Cさんに言われてみれば、この度の教団施設に対する警察の大掛かりな強制捜査は、教団潰しを目的とした国家的弾圧と考えられるし、教団が潰されたら私が理想とする仏教真理も残らなくなるとの危機感に加え、Cさんは、私を教団に勧誘してくれた恩人であり、仏教修行の格段に進んだ人として尊敬していましたので、結局これを引受けた」(乙4)旨の供述の裏返しであり、これら捜査段階における供述の信用性を裏付けるものである。そして、この逃亡の過程に見られる被告人の態度は、Cとの関係で、心理的に同調して本件各犯行を行わなければならなかった状況を示すものであるが、このことは被告人が各犯行の違法性を十分認識していたことを示すものであるとともに、そこには、被告人が公判廷で強調するほど、教団や教祖のためとか、Aの意思であるからといった視点は見受けられず、教団や教祖との関係では、ある意味で淡泊なほど、今後も三〇日ごとにテロ行為を行えとするAの指示から離脱しているのである。被告人は、この点について、Aの指示はCに対するものであり、Cが逮捕された以上、Aの指示は消滅したことになると述べるが、このような弁解は、「グルとの合一」を強調し、グルの絶対性を説くところとは相容れないものであって、内容的にも説得性に乏しく、基本的に信用できないとしなければならない。そして、このようにいとも簡単に離脱していることは、とりもなおさず、当時の被告人の行動制御能力にも問題がなかったことを示すものである。
さらに加えて、被告人は、平成七年一一月二五日付上申書(乙A一〇)において、「今年四月以降、Cさんと行動を共にするようになって、教団の暗部を如実に知るようになり、また、自分たちの行っている行為の違法性、道義的問題等を考えると、いてもたってもおられず、何度も、逃げ出したい、という欲求にかられました。実際、教団の信徒がどんどん脱会していき、また、他に逃げていた者たちがただ逃げているだけであったのに、なぜ私たちだけが、このような犯罪行為を行わなければならないのかと思うと、つらかったです」と述べているが、これも右のような被告人の逃亡の理由と符合するものであり、相互にその信用性を高めるものである。
(6) 結論
以上の諸点のほか、被告人は、本件各犯行の謀議の段階から偵察等の犯行の準備、実行行為に至るまでの流れの中で、犯行の完遂に向け、また、犯跡を隠蔽するために、合目的的行動をとっており、各犯行の動機も了解可能なものであることに照らせば、被告人が本件各犯行当時、Cと行動をともにして、違法行為が日常的に行われる中で、それを目の当たりにし、規範意識が麻痺していった面は否定できないけれども、前記のような規範的立場から見れば、行為に対する是非弁別能力、これに従って行動を制御する能力が著しく阻害されていたとまでは到底認められない。
被告人は、公判廷において、「教団の出家生活の中において、特にA氏のような上の人達から言われた場合に、それまで自分が持っていた常識とか観念とかというものと結び付けるところまでいかない。A氏が言ってるんだからということで、すぐに言われたとおりやってしまう。そういう状態、実態になっていた、ということは言えると思います」と述べ、あるいは、前記上申書において、「グルの呪縛があったことも事実です。仏教の最高峰に位置する金剛乗においては、グルに対する帰依が要求されます。尊師は、弟子に、グルへの絶対帰依を要求しました。たとえグルが間違っていたとしても、グルの命令は絶対である、としたのです。事件を指揮したCさんも、そして私も、その教えに従わざるをえなかったのでしょう」と述べるが、これは、本件各犯行当時、被告人が、責任能力を欠き、あるいは著しく減弱した状態にあったことを示すものではなく、むしろ、被告人が是非弁別能力及び行動制御能力を有しながらも、なお自己の信仰する教義ないし教祖の意思を優先する立場を採っていたことを表しているものというべきである。そして、このような事態は、結局のところ、特定の思想を持つ団体に所属する者が、自己の判断能力ないし行動制御能力を十分に保ちながらも、右思想を実現するために、敢えて、自己の選択したところと異なる行動に出る場合と何ら違いがないと言わなければならない。
3 以上の次第で、被告人には、判示すべての犯行当時、完全責任能力があったと認められるので、弁護人の前記主張は採用できない。
第五 期待可能性について
一 弁護人の主張
弁護人は、「被告人は、マインドコントロール(心理操作)を受けていたものであり、仮に、未だ心神耗弱とまではいえない状態であったとしても、このような心理状態はおよそ適法行為を期待することができず、あるいは適法行為を期待することが相当に困難であったというべきである」と主張する。
そして、弁護人は、「被告人は、一連の強力な心理操作によって、教祖ないし教団からの指示に対して疑問を持ったり否定したりすること自体を罪であると捉え、そういった感情を排除することが修行であり、解脱への道であると教化され、ひたすらこれを実践してきた。教祖の指示に反することはおよそ考えられないという精神状態にあった。これに加えて、本件各事件における教祖の指示は、いずれも救済への道であると説明された。D事件においては、信者に下向を仕向け、救済の邪魔をする弁護士をポアする手伝いだということであった。他の二件については、教団はフリーメーソンの陰謀により、不当な宗教弾圧というべき攻撃を受け、強制捜査もその一環であると信じていた。そして、教祖が不当にも逮捕されれば、教団は崩壊し、人類の救済という大切な事業はそれだけ遅れてしまい、来るべきハルマゲドンに間に合わないので、何としてもグルの逮捕を避けなければならず、それが人類・衆生の救済のための方途なのだと教えられた。加えて、教祖の教えに背くことは、最大の悪業であり、そのようなことをすれば来世は地獄に転生するしかなく、何万年もの間、地獄から抜け出すことはできず、もはや解脱の境地に至ることもかなわなくなると信じている被告人には、ますます指示に反する適法行為をとることを期待することは不可能であり、少なくとも極めて制限された状態であった」と強調する。
二 しかしながら、適法行為の期待可能性欠如の理論は、行為の際の具体的事情に照らし、行為者に、その犯罪行為を回避して他の適法行為に出ることがほとんど期待できる可能性のない場合に、責任が阻却されるというものであって、適法行為を選択した場合にこれによって失われる利益がすこぶる大きくて座視することができず、違法行為にでることもやむをえないというような、極めて例外的な場合に限って認められる理論である。
ところが、本件各犯行における、法益の衝突は、人を殺害することと教団の教義、教団の存続、あるいは教祖の逮捕回避との間のものである。人の殺害が、一般社会において、最も根本的で普遍的な禁止規範に触れるものであるのに対し、本件殺人行為を行って回避できるものは、教団の発展、存続、あるいは教祖の逮捕回避さらにはそれによってハルマゲドンから人々を救済することができるかもしれないというだけの、極めて特殊で異質な、教団のみに関わる利益であって、その間にはあまりにも大きな落差があり、共同社会における規範という面から考えると、そもそも、法益の衝突が生じていると言えるような次元の問題ではないと言わなければならない。
三 被告人は、新宿青酸ガス事件について、前記のとおり、「他の三人は死刑を覚悟でやっているのに、自分が裏切ることはできないと思って、郵便爆弾を投函した」旨述べて、違法行為を行うことについて葛藤があっだが、教団の仲間である共犯者を裏切ることはできないとして、やむなく犯行に及んだとしているのであるが、これは、他の適法行為に出ることを期待することができたかどうかという問題ではなく、それが当然可能であるにも拘らず、敢えて、教団という限られた特殊社会の利益を優先し、殺害行為を実践したことを正当化しているに過ぎないのであって、この理は、D弁護士殺人未遂事件及び都庁爆弾事件においても同様である。端的に言えば、被告人は、D弁護士殺人未遂事件においては、犯行への荷担を、修行の一環である「ワーク」として捉え、これを実行することによって、「解脱・悟り」という宗教上の目標に近付けると考え、新宿青酸ガス事件及び東京都庁爆弾事件については、Aが率いる教団の存在がなくなれば「解脱・悟り」もあり得ないという思いから、同人や教団を警察の捜査から守ろうと考え、各犯行に及んだのであって、結局、被告人は、適法行為を選択することが可能でありながら、自己の宗教上の価値を重視し、これを選んだものにすぎず、期待可能性は十分あったものと認められる。
以上のような認定は、本件各犯行後、Cから、一人になっても破壊活動を継続するように指令を与えられていたにも拘らず、被告人がこれを実行しようとしたことが全くなく、かえって、Cが逮捕されたことによって、同人を介してのAの破壊活動継続指令は消滅したものと解釈していることや埼玉県蕨警察署に出頭するに当たっても、地獄に堕ちるとの強迫観念に苛まれて懊悩した形跡は窺われないことによっても裏付けられていると言うべきである。
以上の次第であるから、弁護人の前記主張は、到底採用することができない。
(法令の適用)
以下においては、認定事実の項の第一から第三までの各罪となる事実を、順次、第一、第二及び第三と略称する。
罰条
第一の行為
平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下、単に、「刑法」という。)六〇条、二〇三条、一九九条
第二の行為
刑法六〇条、二〇三条、一九九条
第三の一の行為
刑法六〇条、爆発物取締罰則三条
同二の行為のうち
爆発物取締罰則違反の点
刑法六〇条、爆発物取締罰則一条
殺人未遂の点
刑法六〇条、二〇三条、一九九条
科刑上一罪の処理 第三の二の行為につき刑法五四条一項前段、 一〇条(一罪として重い爆発物取締罰則違反の罪の刑で処断)
刑種の選択
第一の罪 有期懲役刑を選択
第二の罪 有期懲処刑を選択
第三の一の罪 懲役刑を選択
第三の二の罪 有期懲役刑を選択
併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、一四条(最も重い第三の二の罪の刑に法定の加重)
未決勾留日数の算入 刑法二一条
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条
一項ただし書
(量刑の理由)
一 被告人の判示第一のD弁護士殺人未遂事件の犯行は、オウム真理教の信者であった被告人が、教祖であるAや他の信者らと共謀の上、サリンを使ってD弁護士を殺害しようとしたが、同弁護士に軽度のサリン中毒症を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかった事案であり、判示第二の新宿青酸ガス事件及び第三の東京都庁爆弾事件の各犯行は、地下鉄サリン事件以降、教団に対する捜査網が狭まり、Aの逮捕が現実味を帯びてくる中で、教団に対する強制捜査の矛先を逸らし、Aが逮捕されるのを免れる目的で、他の信者らと共謀の上、多くの死傷者が出ることを認識しながら、新宿駅地下の公衆便所に時限式青酸ガス発生装置を仕掛けたが、発火後間もなく消火されるなどして青酸ガスが発生しなかったため、その目的を遂げず、さらに、その直後に、同様の目的で、他の信者らと共謀の上、当時の東京都知事を殺害して治安を妨害しようと企て、書籍爆弾を製造し、同知事宛てに郵送して、開披した知事室知事秘書担当参事に重傷を負わせたが、殺害するには至らなかった事案である。
二 本件各犯行は、個人の犯罪という枠組みを超えて、オウム真理教団による組織的な犯罪であるという特殊性があるので、被告人の各犯行に対する関与の程度あるいはそれに対する評価といった個別的情状は措いて、まず、各犯行の全般的情状を見ることとする。
1 判示第一のD弁護士殺人未遂事件は、「オウム真理教被害対策弁護団」に所属して、教団を相手方とする民事訴訟の代理人を務めたり、カウンセリングによって信者らを脱会させようとして、元信徒であったオウム被害者の会会長の長男とともにカウンセリングを行なうなどオウム教団から見て障害となる活動をしていた同弁護士に対し、教祖であるAが、教団に敵対する者と位置づけて、その殺害を企て、F、Hら教団幹部等に指示し、これを受けた教団幹部及び被告人らがその殺害を実行しようとしたもので、教団にとって目障りな人物がいればその生命を奪うことも許されるというAを始めとする同教団の唯我独尊的な思考態度の現れである。Aは、ポアという宗教上の概念をもてあそび、自らに都合のよいように変容させた上、手前勝手な正当化の理屈を立て、あるいはヴァジラヤーナの教義の一部分のみを際立たせ、宗教上の救済を図るという名目の下に、本件を引き起こしたもので、誠に身勝手な発想に基づく独善的な犯行としなければならない。
犯行の手段、態様は、同弁護士の車の運転席側フロントガラスとボンネットとの境目付近にサリンを滴下して、走行中の車内に気化したサリンを流入させる方法で、運転中の同弁護士に吸引させて殺害しようとしたものである。サリンは、もともと化学兵器として開発された神経剤の一種であり、ごく少量で多数の人を殺傷する能力を持つ猛毒ガスであるが、本件サリンは多数の死傷者を出した松本サリン事件と一緒に製造されたものであって、その殺傷能力は非常に高く、目論見どおりに事が進めば、同弁護士は高速道路上でサリン中毒に見舞われ、その結果、交通事故を引き起こして、周りを高速で走行する無関係な車両を巻き込み、多数の死傷者を出すことが十分予想されたのであって、危険極まりない犯行である。
また、犯行実行者であるHら教団幹部は、犯行に先立ち、実行、送迎、医療担当等のきめ細かな役割分担をした上、車の内外の空気の流れを調べる実験をしたり、変装用具や治療薬等を用意するなどし、直前には実行役の者にサリン滴下の予行演習をさせるなど、周到に準備を重ねたものであって、組織性、計画性が顕著である。
被害者は、おそらく当時の天候等によりサリンの気化が速かったことなどから、幸運にも軽微なサリン中毒症状を呈したに止まり、特別の治療を経ることもなく、翌日には正常に復しているが、本件犯行が同弁護士の弁護士としての正当な活動を圧殺する目的で敢行されたことに照らすと、同弁護士が首謀者であるAを始めとして、被告人を含む実行行為者に対して厳正な処罰を望むと述べるのは当然のことであり、結果が軽微であったことをそれほどまでに酌量すべきものではない。
2 判示第二の新宿青酸ガス事件及び判示第三の東京都庁爆弾事件は、地下鉄サリン事件を引き起こしたにも拘らず、教団施設が警察の捜索を受け、信者らが次々と逮捕され、教祖であるAの逮捕がますます現実化しつつある状況の中で、同人、その側近、あるいは教団幹部が、Aの逮捕を免れ、教団の存続を図ろうと狂奔し、社会の耳目を聳動するような事件を引き起こして警察の捜査の目をそちらに引き付け、教団に対する捜査の矛先を逸らそうとして、連続的に敢行された犯行である。
いずれの犯行も、Aの包括的な指示の下、更には、自らの逮捕を恐れる同人から急かされる中で、Cを中心に被告人らにおいて、事件を具体的に計画し、実行していったものであるが、その過程では、被害を受けるべき多数の人々のことは全く顧慮されず、もとより、その宗教的位置づけもできないまま、ただやみくもに、A逮捕の回避と教団の存続を図ったものとしかいいようがないのであって、そこには、Aを始めとして本件各犯行を実行した被告人を含むCら共犯者に、宗教者としての尊厳は微塵も見受けられない。どのように弁解しようと、本件各犯行の実態は、教団として数々の違法行為を行った挙げ句、露見しかかって追い込まれた末の卑劣極まるテロ行為にほかならないというべきである。
3 このうち、新宿青酸ガス事件は、青酸ガスの発生による無差別殺人を企図したものであり、ここにもAや教団のためなら手段を選ばずという独善的な発想が現れている。
同事件において、被告人らは、日光山中に埋めておいた薬品類を掘り起こすなどして原料を用意し、試行錯誤を繰り返しながら青酸ガス発生装置を製作して、二度にわたって実行に失敗しても諦めることなく、周到に役割分担をした上、相互に連携を取り合って犯行に及んだものであり、そこには強い計画性と犯行への異常な執念が看取される。
また、犯行の手段、態様は、新宿駅地下にあるトイレのゴミ箱に、硫酸による腐食作用を利用した時限式青酸ガス発生装置を仕掛けるというものであり、右装置は、仕組みこそ単純であるが、正常に作動すれば、実験値によるものではあるが、数千人を殺傷することができるほど多量の青酸ガスを生じるものである。幸いにして、右装置が仕掛けられた後、何者かによって希硫酸が入ったビニール袋が装置から取り外されてゴミ箱の脇に置かれ、更にこれを発見した清掃作業員によって、装置が分解された状態のまま、トイレの入り口付近に並べて置かれ、やがて時限式発火装置が作動したものの、通行人から発見されて直ちに消火されるという幾つもの幸運が重なって事無きを得たのである。仮に、仕掛けられたままの状態で青酸ガスが発生していれば、副都心の新宿駅地下街のトイレにおいて、特に人出の多い祝日に敢行されたものであり、本件トイレ内の空気は隣接する地下コンコースや地下鉄のホーム上にも流出する可能性があったこと等に鑑みると、いわゆる地下鉄サリン事件をも超える死傷者を生じかねなかった誠に危険この上ない犯行というべきであって、社会に与えた不安感と恐怖心には計り知れないものがある。
4 次に、東京都庁爆弾事件は、Cや被告人らのもとに、Aから、同人の逮捕が間近に迫っている旨のメッセージが伝えられたことを直接の契機として、前記のとおり、新宿青酸ガス事件と同一の目的の下に、その延長線上の行為として敢行されたものである。
被告人を含めCらは、できるだけ大きな騒ぎを引き起こすべく、当時世界都市博覧会中止等の政策で注目を浴びていた青島都知事に宛てて爆弾を送り付けようと考え、爆薬の中でも威力が大きいとされるRDXを製造し、これを書籍の内部をくり抜いて埋め込み、表紙を開けると爆発するような仕掛けを施した上、同知事と対立していた都議会議員からの郵便物を装って都知事公館に郵送したものであり、多数の者を巻き込んで殺傷するおそれのある非常に危険性の高い犯行といえる。
その結果、都庁職員である被害者は、職務として、都知事公館から都庁に転送された郵便物の中味を改めるや否や、一瞬にして爆風に包まれ、辺りに肉片を飛び散らせて血だるまになり、左手の全ての指と右手の親指を失ったほか、全身にわたる挫創等悲惨な傷害を負わさせるに至った。被害者は、激烈な痛みに耐えて二度にわたる手術を受けたが、現在もなお両手の痺れや違和感に悩まされ、日常生活や仕事の上で多大な不便を強いられているのであって、その肉体的苦痛はいうを俟たず、不自由な身で一生を送らなければならない精神的苦痛には想像を超えるものがある。もとより被害者には何ら落ち度がなく、職務として当然の作業を行ったばかりに、理不尽にもこのような凶行の犠牲となったのであって、公判廷において、痛々しい両手を示しつつ、「犯人がいかに悔いても、私の指は戻って来ません」と述べる姿には、被告人らに対する憤怒の情が峻烈に現れているというべきである。
もとより、本件犯行の標的とされた青島都知事を始めとする都庁職員や社会全体に与えた不安と混乱にも甚だしいものがある。
三 以上に見てきたように、本件各犯行は、サリン、青酸ガス及び爆弾といった殺傷力の高い手段を用いるなど極めて凶悪な組織犯罪であり、これら犯行を犯すに至る経緯や動機には全く酌量の余地はない。そして、被告人は、次々とこれらに荷担し、実行してきたものであって、基本的にその責任は重いと言わなければならない。もっとも、以上の各事件についての全体的な責任は、D弁護士殺人未遂事件をつぶさに指揮し、新宿青酸ガス事件及び東京都庁爆弾事件でも包括的な指示を出していた教祖であるAやH、Cらの教団幹部が直接的には問われるべきもので、必ずしも、その全体的な評価のすべてを被告人に帰せしめるべきものでない点もある。そこで、引き続き、被告人に対する個別的情状について見ることとする。
まず、D弁護士殺人未遂事件については、H、Gら他の幹部とは異なり、突然東京から呼び出されたものではあるが、詳しい背景事情や具体的な犯行の手段、態様を十分に把握しないまま、無批判に犯行への荷担を承諾したものであり、如何に教団内部での価値観ないし価値基準が一般社会と異なっていたとは言え、その軽率で短絡的な行動態度は強く戒められるべきである。また、新宿青酸ガス事件及び東京都庁爆弾事件については、当時の教団の置かれていた状況、すなわち、教団への更なる強制捜査と教祖Aの逮捕が現実化していることを十分認識しながら、積極的に謀議に参加するなど、関与を深めていったものと見ざるを得ないのであって、先の全体的情状についても、その多くについて、被告人は責任を負うべきである。
さらに、各事件において被告人が果たした役割を見ると、D弁護士殺人未遂事件においては、犯行前に被害者の車の駐車位置を確認して実行役の者に知らせるとともに、医療行為を分担した共犯者らが中毒症状に陥った際には代わりに治療薬を注射する手筈になっていたのであり、被告人が他の共犯者らに与えた物理的、心理的影響は決して小さくない。新宿青酸ガス事件においては、清掃作業員によって青酸ガス発生装置が片づけられることのないように、事前に本件トイレの清掃が終わったことを確認した上、実行役の者が逃走に利用する路線バスの発車時刻等を調べて共犯者らに伝えるという、重要な役割を果たしたものであり、東京都庁爆弾事件においては、爆弾を入れた茶封筒の宛名書きをし、これを投函するなど、実行行為そのものを行ったのであって、果たした役割は誠に重大である。
加えて、被告人は、新宿青酸ガス事件、東京都庁爆弾事件の各犯行当時、地下鉄サリン事件もオウム教団において実行されたものであることを認識していたのであり、その上で、なお、このような犯行に出たことは、違法行為を行うことについて、規範意識が全く麻痺していたと言わざるを得ず、その犯情はよくないというべきである。
また、被告人の法廷における態度は、真摯に反省悔悟する姿勢を基本的には見せるものではあるが、その供述内容は概して淡泊で、ときには弁解がましいと映る供述や他人事であるかのような供述をする傾向もまま見られたことは裁判所として残念なことであると言わざるを得ない。
そして、これらの事情を併せ考えると、被告人の刑事責任はすこぶる重大であり、被告人に対しては、厳罰をもって臨む必要があるというべきである。
四 しかし他方、いずれの犯行においても、幸いにして死亡者が出ていないこと、被告人は、首謀者あるいは中心的な立場で各犯行を計画、実行したものではなく、基本的には教団幹部の命令に従って行動したもので、従属的な立場にあったと認められること、証人として出廷した東京都庁爆弾事件の被害者を目の前にして、改めて自己の責任の非常な重さを痛感し、被害者に対して真摯な謝罪の念を示し、被害弁償に努める旨誓約していること、指名手配となっていることを知りながら、平成七年一〇月八日に自ら警察に出頭していること、これまで前科前歴がなく、教団に出家するまでは医師として勤務していたこと、本来は純粋な宗教心から教団に入信し、出家したものであるが、それをAやCらから逆手に取られて利用された側面も否定できないこと、現在ではAの説く教義を誤りであると分析、総括した上、教団を脱会していること、母親を始めとする家族が出所後の被告人を温かく迎える気持ちでいること等、被告人のために斟酌すべき事情も存する。
五 そこで、これらのほか、被告人の身上、経歴等本件に現れた一切の事情を総合勘案し、主文のとおり量刑する。
(求刑 懲役二〇年)
(検察官 川瀬雅彦並びに国選弁護人 桑原育朗(主任)及び同 米倉勉各出席)
(裁判長裁判官 中山隆夫 裁判官 山内昭善)
裁判官 木野綾子は転補のため署名押印することができない。
(裁判長裁判官 中山隆夫)